学生時代、自分より大人な同級生に憧れたりってあったと思う。そいつの振る舞いが格好良く見えて、自分もああなりたいとそっと真似てみたり、後にくっついて歩いたり。そいつは絶対に周囲のそういう目を意識していて、もっと意表を突こうとして言動がエスカレートする。そして仲間のリーダーでいないと気が済まない。エマニュエル・ブールデュー監督『Les Amities Malefiques 不吉な友情』のアンドレ(チボー・ヴァンソン)はそんな奴だ。もっと性質が悪いことに、彼はジェラシーの塊で、仲間の成功をねたみつぶそうとする。そのためには嘘もいとわない。平気で相手を傷つける。どんな社会にも多かれ少なかれこういう奴はいるが、この映画は文学部の大学生活を背景にする。
この年ごろは、行動をともにする仲間が大切で、友人に対してセンシティヴだ。エロワ(マリク・ジディ)が中でも一番ナイーヴで最後までアンドレに振り回される。文学がメシより大事なこいつらが、(私の周りには、映画がメシより大事なやつらが結構いるが)普通なら話題の中心になりそうな女性関係に対して淡泊なのが面白い。唯一、大学図書館の司書、マルグリット(ナターシャ・レニエ)をめぐってアンドレとエロワの確執がある。アンドレはマルグリットに惚れたというより、エロワが彼女を好きなのを知って先回りしたみたいだ。悪い奴には魅力がある。女はまずこういう男の餌食になるのだ。しかしこの映画の目的は、そうした男と女の関係を描くことにないので、その辺ははしょられる。だからちょっともの足りない。アンドレのワルぶりも現象に負っていて、本人にもうちょいカリスマ性が欲しい。脇に回ったドミニック・ブロン(エロワの母で作家)とジャック・ボナフェ(大学教授)が良い。(吉)
●Dans Paris
パリ16区上空。「陽」担当の弟ジョナタン(ルイ・ガレル)の独白がカメラ目線で始まる。「陰」担当の兄ギョーム(ロマン・デュリス)は、愛が破綻し実家に戻ってくる。そしてまずいコーヒーをすすめる親父の家に寄生するナンパ師弟&うつ気味兄の怠惰な時間。だがギョームが苛まれる悲しみの暗さより、映画はヌーヴェル・ヴァーグ的幸福感に寄り添うことを選ぶ。ユスターシュやトリュフォーが微笑み、音楽と遊びと軽い恋の始まりがある。パンツ一丁がやけに心地良さそうな男女を、ただ無意味に眺めるこの快感! 監督はクリストフ・オノレ。(瑞)
Louis Garrel (1983-)
口ベタだっていい。顔が大きめだって、露出狂気味だって構わない。思慮深そうな反面、本当は何も考えていなそうなぼんやり感。笑顔がやや不自然な堕天使ルイ・ガレルこそ、現代フランス映画のプチ・プランス(星の王子さま)に違いない。
初めて彼を見たのは、彼の父である鬼才フィルップ・ガレルの作品『Les Baisers de secours』(1989)の中。ミニマルな大人の愛憎劇より、まだ幼児のチビ・ルイが三輪車で走る姿に心を奪われた。だが彼の本格的なスクリーンデビューは、2001年の『Ceci est mon corps』まで待たねばならない。『ドリーマーズ』(’03)、『ジョルジュ・バタイユママン』(’04)と性的テーマを扱う作品が続くが、天性の無垢さは決して汚れない。そしてパパ・ガレルとのコラボレーション作品『Les Amants reguliers』の成功。本作の出演でセザール最優秀新人賞を受賞し、「ママン、ボクはバカロレアはないけどセザールはもらった」とド緊張でコメントしたのが忘れ難い。最新作は『Dans Paris』。ギリシャ彫刻を彷彿させる整った顔立ちなのに、絶えず滑稽さがちらつくアンバランスさが新たな魅力に。この滑稽さの質は、ジャン=ピエール・レオが演じたトリュフォー作品のドワネル青年譲りのものである。(瑞)
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