映画の都、パリ。私はパリへ来て何百本映画を見ただろう。フランス、イタリアの名画。昔のハリウッドもの。ロシア、アフリカ、アジア、南米の映画。日本のクロサワ、オズに親しんだのもパリでである。
日本に比べたらパリは断然入場料が安い。最近はパスを購入すれば無制限に映画が見られる。それに、映画に通じていれば、フランス人との会話に事欠かない。映画好きにとっては良いことだらけのパリである。しかし、ひとつ気になることがある。映画そのものが終わって、クレジットが流れ始めると、多くのフランス人が次々と席を立ってしまうことだ。見たいものは見たのだから、さっさと家へ帰るわ、と言わんばかりに。
期待を裏切るような出来の悪い映画の場合は、腹が立ち、急いで席を立ちたくなることもある。しかし、感動が深ければ深いほど、すぐさま席を立てない。見終わったばかりの映画の現実から街の現実に我が身を戻すまで、時間を必要とする。映画を追う集中力と緊張がほぐれ、放心状態で流れる文字を眺め、音楽に身をゆだねる。べつに、クレジットされている製作関係者の名前を確認しようとしているわけではない。しかし、この映画の付け足し部分にもシネアストが選んだ、視覚的、聴覚的なチョイスがあるのではないだろうか。それを確かめるのも興味深い。
わたしは映画を最後まで見送るのが好きだ。ホールの明かりがつくと、やっと席を立つ気になる。どうしてフランス人は早く去ってしまうのだろう。(S・T)