いつもの通勤ルートで地下鉄に向かっていた。途中、HLMの前を通るのだが、その傍にあるベンチに何やら花束や火が灯る蝋燭がたくさん置いてある。その横には写真つきで “Adieu a notre ami John”というメッセージがある。その写真をみて私ははっとした。
この人、私がこの公団住宅の前を通るたびに必ず「ニイハオ」と声をかけてきたおじさんではないか。黒人でいつも野球帽を被り、足が異常に湾曲していて松葉杖をついてやっとのこと歩いていた。そんな独特な風貌で声をかけられた私は、別に悪気はない彼を無視するわけにもいかず、しかしどうやって返事をすればいいのかそのたびに当惑し、「ニイハオ」と中国人を装うわけにもいかず、かといって「コンニチハ」と自分のアイデンティティーを強調するのも少々いやらしいかなと迷いながら、結局、顔をこわばらせ小さい声で「ボンジュール」と答えていたものだ。
二週間ほど前もそうやって声をかけられ、とても病人とは見えなかっただけに、人の死とは突然やってくるものだなと思い、同時に、決して経済的には豊かでないHLMの住民がこうやって暖かい心をもって「名物おじさん」だったろう彼の死を悔やんでいることに何よりも感動した。
核家族が進み老人が一人、誰にも気づかれずに死ぬというのも話題にならない世の中。大都会のパリでこのような人情あふれる場面に出くわした私は、世の中、まだ捨てたものじゃないと思った。おかげで職場へ向かう地下鉄の中で私の涙腺はゆるみっぱなしだった。ジョンさん、安らかに眠って下さい。(ルミ子)