「工業高校を出て車の整備士として働いていた自分が、パリで “SUSHIYA” を経営しているなんて、『ひょっこりひょうたん島』みたいな人生だよな」と川口さん。「本当はアメリカに行くビザを取るために寿司職人の修行をしたんだ」と話は続く。車の修理工場に13年間勤務した後、知人に勧められてアメリカの日本車販売会社に。旅行気分で様子を見に行ったのだが、結局技術者として4年半滞在することになった。お世話になっていた社長が亡くなったり、離婚したりで滞在許可の延長ができず、いったん日本へ。そこで、ビザ申請の近道のためと寿司修行。しかし2年後に申請した時には却下されてしまった。
フランス経由でアメリカに入国しようと、パリのレストランで職を見つけ、83年にやってきた。そして一年半後に申請したアメリカへの入国が再度拒否された時、まるで反動のように、パリで店を開くことを決意し会社を設立。「日本で働いていた寿司屋のおかげで、経営のノウハウが自然に身についていたんだな。そこの社長は独立できるように、全員に調理場、仕入れ、給仕と、三つの業務を交代でさせるんだ」
その後滞在許可証の問題では長年の苦戦が続いた。弁護士を通じて訴訟を起こしたが、その結果、今年の2月に国外退去の通知が届いた。と同時にジョスパン首相の公約が実現されて、昨年申請を出しておいた滞在許可証発行の通知が届いた。
「とにかく何でも続けることだよな。同じところで続けていると、お客さんも何年か後でもまた来るし、仕入れの業者とだって “あうん” の関係になれる」
ガイドブックRoutardに94年版から毎年掲載されているのも、きっと値段を据え置きにし、質と量も変えずに続けているからだろう。「昼も夜も値段は変わらず、ボリュームいっぱいの寿司盛合わせ90F」
こういう寿司屋がパリで長く存続するためにも、来年5月の滞在許可証の更新がスムーズにいきますように!(尚)