92年前、難民と共に旅した音楽がある。
マリア・シモグルーは、ギリシャ北部中央マケドニア地方のテッサロニキ(ギリシャ第2の都市)で生まれた。マケドニア、トラキア、小アジア(アナトリア)の民謡を伝える家柄に育ち、テッサロニキの国立音楽院でギリシャ古典音楽とクラシックを学んでいる。マリアの強みは大衆芸能と古典を自然に自分の持ち味にできる環境にいたことで、プロ歌手となってからも、その声の表現の幅は広い。楽器はオーボエ、ウード、カヌーン、伝統打楽器を学んだ。テッサロニキに続いてベルリン音楽アカデミーで学んだのち、トラッドと古典とコンテンポラリーの広い分野でギリシャ内外の音楽シーンで活動している。その国際的な共演者のひとりに、イラン出身の打楽器ザルブの若きマスター、ビージャン・シェミラニがいて、二人は恋に落ち、子供をもうけ、ビージャンの活動拠点であるフランスのマルセイユに家庭を築いた。マルセイユは紀元前7世紀に古代ギリシャ人が築いた町、マリアにしてみれば、この町は異国感が多少薄く思えるのだろう。
私がマリアを知ったのは、2006年にビージャンを中心に結成された6人組のバンド、オネイラ(ギリシャ語で「夢幻」の意)のCDを日本で配給する仕事をした時で、イラン(ビージャンと妹のマリヤム・シェミラニ)ギリシャ(マリアと竪笛ネイ奏者ハリス・ランブラキス)、フランス(ギター奏者ケヴィン・セディッキとヴィエル=ア=ルー奏者ピエロー・ベルトリノ)の6人が、トルコ、ペルシャ、クレタ、ギリシャ、アラブ=アンダルシア、オクシタニアなどのレパートリーをベースにした、イマジナティヴな地中海音楽を展開し、2010年の『もしも海が』と2012年の『星々の記憶』の2枚のアルバムは、フランスのアカデミー・シャルル・クロ・ディスク大賞を受賞するなど、高く評価された。
「私が子供の頃から歌い、それと共に大きくなった歌」
新種でボーダレスなフォーク・トラッドだったオネイラのあと、マリアはがらりと方向を転換して、自分のルーツたるギリシャの20世紀初頭の大衆音楽レベティコに回帰してくる。9月18日に「マリア・シモグルー・アンサンブル」の名で発売になるアルバム『ミノレ・マネス』は “Rebetika songs of Smyrna”(註:レベティカ=レベティコの複数形)と副題された、100%1930年代のレベティコのレパートリーで占められた13曲の新録音作である。自筆のライナーノーツには「私が子供の頃から歌い、それと共に大きくなった歌」と書いてある。この大衆歌謡は大変複雑な歴史から生れている。 第一次大戦の延長戦のようにギリシャとトルコはアナトリア半島の領有をめぐって1919年から22年まで戦闘を繰り返していた(第二次ギリシャ・トルコ戦争)。アナトリア半島のイズミル(またの名をスミルナ)には古くからギリシャ人町があり、そこにはオリエント、小アジアの音楽とギリシャの音楽が融合された酒場の大衆音楽が人気を博していたが、それがレベティコのルーツだった。しかしこの戦争でギリシャはトルコに破れ、アナトリア半島の領土を失い、現在のギリシャとトルコの国境が確定する。戦後1923年に調印されたローザンヌ条約により、アナトリア半島のギリシャ正教徒約100万人と,ギリシャ国内のイスラム教徒約50万人の住民交換が行われる。こうして移民としてイズミルから現在のギリシャ国内に流れてきた人々がギリシャ各地にこのレベティコを伝え、やがてギリシャの国民的な大衆歌謡・ダンスとなったという話。だから、この歌の多くはイズミル追放の物語や不可能な望郷の念を歌うので、悲しく、ブルースやファドに近い哀感が心に迫る。またギリシャ国内だけでなく、1920年代からこのイズミル追放民がアメリカ大陸にも渡っていて、合衆国にもレベティコを伝えているが、世界で最も知られたレベティコのメロディーはクエンティン・タランティーノ映画『パルプ・フィクション』(1994年)のテーマとなった 「ミシルルー」(サントラはディック・デイルのエレキ演奏。原曲は1920年代作)であろう。
ギリシャで最もレベティコが栄えたのがアテネ首都圏の港町ピレウスであった。港、酒場、安宿、悲恋、追放、望郷、ハシッシュ、ならず者、待つ女…。決して小さな子供に推奨できるような歌詞内容の歌ではないが、マリアは幼い頃からレベティコに親しんでいた。そしてこの壮大なレパートリーから13曲を厳選し、1930年代と同じ楽器アンサンブル(ネイ、リラ、ラフタ、サジ、カヌーナキ…)の5人を選び、彼女自身が編曲して、スタジオライヴの条件で録音したアルバムが『ミノレ・マネス』である。楽器演奏と録音エンジニアリングを除いて、1から10までほとんど彼女ひとりで制作したと言っていい。その丁寧で繊細な仕事ぶりがCDのアートデザイン(暗い酒場、顔を隠す楽士、女、犬…)やブックレット(3カ国語、30ページ)の端々にも明らか。
鍛えられた民謡歌手だけが持てる人肌温度を感じさせる声質。
西方と東方の境界を行ったり来たりの土地柄、その音楽は四分音やオリエンタル音階を含んで遠くて近いなつかしさ。マリアの歌声は難しい旋律もまろやかに乗り越えるヴィルツオーゾのこぶし回し。鍛えられた民謡歌手だけが持てる人肌温度を感じさせる声質。そしてその哀感は、やはり海が舞台ならではのものだろう。CD12曲めに 「ああ、邪悪な海よ」という歌がある。
わたしは泣き、ため息をつき、
海を見つめる
あの優しい二つの目が
遠いよその国に去ってしまった
海よ、少しはわたしを憐れんで
よその国から
わたしの恋人を連れ戻してきて
毒をふくんだ海よ
おまえはわたしの心を焼き尽した
わたしの腕の中の慰めを
奪い去ってしまった
マリア・シモグルーの『ミノレ・マネス』は9月18日発売。パリでのアルバムお披露目コンサートは11月17日(火)パリ20区のステュディオ・ド・レルミタージュで。
レベティコは言わば土地を失った難民たちが伝えた音楽。この9月、私たちはそのギリシャとトルコで多くの戦争難民たちが流れ着き、流れて行くのを見た。悲しみ苦しみ怒りだけでなく、この人たちは音楽も連れていく。望郷や引き裂かれた恋の歌は、同じように旅するもの。そんなことも思って聞いていただきたいアルバムである。
文・向風三郎
日本で入手が難しい時はこちらのリンクへ。: http://elsurrecords.com/2015/07/30/maria-simoglou-ensemble-minore-manes-rebetika-songs-of-smyrna/
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