ヴィクトル・ユゴーが生きた19世紀のフランスは、美食の地として輝いていた。18世紀末のフランス革命後、仕事を失った王侯貴族のお抱えシェフたちが街中にレストランを開業。革命後に金と権力を得たブルジョワたちは、そんなシェフが腕をふるうレストランにこぞって出かけ、食の楽しみに開眼して夢中になった。
ユゴーと同時代の作家であるバルザックやデュマは、そんな時代の流れを作品の中に積極的に取り入れた。そして、あたかもそれがひとつの教養であるかのように、自ら美食を体験し、その記録を詳細に残している。食は、当時の風俗を語る上で欠かせない要素だったのだ。
そんな中、ユゴーの食に対する姿勢は明らかに他の作家たちのそれと異なっている。作品中に主に描かれているのは、食そのものではなく、食の不在。『レ・ミゼラブル』の著者は、革命後、なお飢えに苦しめられる民衆が多くいることを決して忘れることはなかった。
もちろん、食べることをおろそかにしていたわけでもないし、関心がなかったわけでもない。『行為と信条』(1840年)の中では、「読むこと、それは飲むことであり、食べることだ。読書をしない人のエスプリは、食事をとらない人の体と同じように痩せていく」と書いている。その食べ方はいささかエキセントリックではあったが、しっかり食べ、飲んだ。そして、平均寿命が50歳ほどであった当時において83歳まで生きて、コンスタントに傑作を発表した。
あらゆる面で超越したところのあったこの作家は、食についてもしかり。ごく幼い頃の記憶として、父を訪ねてイタリアに旅する道中で食べた鷹(たか)のことが挙げられている。(さ)