1877年初夏、ゾラ夫婦はマルセイユ近くの小さな漁村エスタックに滞在する。その頃すでに有名になっていたゾラ。人の多い海岸では落ち着いて仕事も出来ないというのが、その静かな村を選んだ理由だ。ゾラは朝から執筆に励み、ごく規則正しい生活を送った。いつものように、その楽しみは食べること。ゾラは、友人のエドモンド・ド・ゴンクールにこう白状している。「夜、家になにか美味しい物がないと、僕は、不幸なんだ。そう、本当に不幸なんだ」。中でも、海の幸には目がなかったという。
妻のアレクサンドリーヌは、そんな夫に教わったブイヤベースのレシピを、その海辺の小さな村でさらに改良。こつは、強火でごく短い間に調理することだという。魚をフライパンに並べて水で覆う。玉ネギ、ニンニク、コショウ、トマト、そして半カップのオイルを加え、子ヒツジを焼くような素晴らしい火にかける、というざっとしたつくりかたが、ゾラの著作の中に紹介されている。アレクサンドリーヌの台所には、その時代の主婦の誰もが夢見るような立派な器具が備えられていたというが、きっと、評判を呼んだその料理は天性の才能と長年の感に頼ったものに違いない。
好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので、アレクサンドリーヌも夫に負けず劣らず食いしん坊であった。彼女は、今ではタラソテラピーとして知られる海水療法に毎年出かけていたが、そんな時でも、ついでにエビを取るのに余念がないような女の人だった。食べ物小説『パリの胃袋』には「身体からはほんのりと魚の匂いが漂い、片手の小指の近くにはニシンの鱗が一枚、螺鈿(らでん)のほくろのように付いている」(朝比奈弘訳)美人のラ・ノルマンドが登場する。海の香りのする妻は、ゾラの目にやはり美人に映ったに違いない。(さ)