展覧会「L’Olympisme, une histoire du monde」
「オリンピック主義」展は、近代五輪初回アテネ大会(1896)から2008年北京までの26回目の大会を、当時の世界の出来事と並行して見せる。副題「オリンピックを通した世界史」のとおり、社会学的、政治的な内容だ。大会ごとに参加国数、5大陸別の選手数、男女数、金メダル獲得ベスト3の国などの統計があり、大会の変化もたどることができる。
初回の参加者は、趣味でスポーツをやっていた貴族やブルジョワのエリート層の白人男性のみ。女性も労働者階級も排除された。近代五輪創始者のピエール・ド・クーベルタンは若者にスポーツ教育を施し、スポーツを通して世界平和を実現しようと考える平和主義者だったが「女性がスポーツをすることは自然に反しており、子作りができない」という保守的な男性優位主義者でもあった。初回は女性選手ゼロ、参加国は14カ国のみ。1900年のパリ大会では40人の女性が乗馬、テニスなど女性限定の競技に参加した。
20世紀初めは植民地主義の時代。植民地出身者は宗主国の選手として参加した。アルジェリア出身でルノー工場の労働者アメッド・ブゲラ・エル・ウアフィ(下)は、1928年アムステルダム大会のマラソンでマグレブ出身者として初めて金メダルを獲得。しかし五輪のアマチュア精神を知らず、その後米国で賞金獲得レースに出場し五輪出場停止に。不遇の後半生を送ったが、2000年頃からサン・ドニやブローニュ市で通りに彼の名をつけるなど、名誉回復の動きがある。
人種問題で皮肉なのは、アーリア人種の優位を主張するナチスが開催した1936年ベルリン大会で、米黒人選手ジェシー・オーエンスが4つの金メダルを獲得したことだ(本展ポスターには彼の写真が使われている)。白人優先の建前とは逆に、ドイツでは熱狂的な賞賛を受けた。ところがアメリカに帰国すると、有色人種ゆえに他のメダリストのようにホワイトハウスに招待されることはなかった 。
オリンピック史上、人権を考える上で忘れられないのが68年のメキシコシティー大会だ。200メートル男子陸上で金メダルの米トミー・スミスと銅の米ジョン・カーロスが、表彰台で黒手袋をして拳をあげる、ブラックパンサー党を思わせる人種差別への抗議のポーズをしたのだ(冒頭の写真)。政治行動をしないという五輪憲章に反した米国人2人はその後、選手村から追放された。銀メダルのオーストラリア選手ピーター・ノーマンは、彼らと同じポーズはとらなかったが、胸に「人権のためのオリンピック・プロジェクト」と書かれたバッジをつけていた。オーストラリアでは白豪主義のもと、先住民が差別されていたからだ。彼も国に帰ってからは批判され、その後、五輪に出られなくなった。ノーマンが2006年に死去した際、スミスとカーロスは葬儀に駆けつけ棺を担いだ。それほど3人を一生結びつけた出来事だった。
6月11日、移民歴史博物館で五輪の国際シンポジウムが開かれ、80歳のトミー・スミスが特別ゲストとして登壇した。当時を振り返って「自分はブラックパンサーの運動に参加したことはない。全ての人類の人権のため、自分の意志でやった」と話した。3人のパフォーマンスは、表彰台に上る直前に決めたという。手袋をはめなかったノーマンについては、「ノーマンは自分とカーロスを支援したと言われているが、そうではなく、彼自身が人権活動家だった」と明言した。
6月の欧州議会議員選挙でフランスでは極右に3分の1の票が集まる未曾有の事態となり、6月30日と7月7日に行われる総選挙では政局が大きく変わる可能性がある。パリ五輪の時は誰が政権の座についているのか。混乱の中、トミー・スミスのメッセージはかつてないほど心に響く。(羽)9/8まで
Musée national de l'histoire de l'immigration
Adresse : 293 avenue Daumesnil, 75012 Paris , Franceアクセス : M°Porte Dorée
URL : http://www.palais-portedoree.fr
月休、7/26と27休館。火~金10h-17h30, 土日10h-19h。 10€/7€/26歳未満無料