Miriam Cahn “Ma pensée sérielle”
「小児性愛」のレッテルを貼り、作品撤去求める署名運動。
2023年2月17日からパリの現代美術館「パレ・ド・トーキョー」で開催中のスイス人アーティスト、ミリアム・カーン(1949―)のフランス初の回顧展が、3月、物議を醸した。
テレビ司会者カール・ゼロが、「小児性愛をありふれたものにする作品」だとして、展示作品の一つ「ファック・アプストラクション!」をツィッターで糾弾し、作品撤去を要求したのがきっかけだった。大きな男性が、手を後ろで縛られてひざまづいた人にフェラチオを強要する場面を描いた作品である。
これに呼応して撤去を求めるネット署名が始まり、1万4000筆が集まった。3月23日には、NGO「子どものための司法家」に、ポルノや近親相姦、暴力から子どもを守るために活動する複数のNGO、女性への強姦を糾弾する任意団体が合流し、パリ行政裁判所に作品撤去を訴えた。
28日、同裁判所は要請を却下したが、原告は国務院に控訴。国務院も4月14日の判決で訴えを却下した。その根拠として挙げられたのが、会場にはセンシティブな人が反応する可能性があるという説明があり、子どもが作品に近づくのを避けるため警備員が配置されており、観客に説明する係員がいること、また問題の作品については、ウクライナ戦争のブチャ侵攻の後に描かれ、被害者は大人であるとの説明が作品の横についていることだった。
国務院は、これらの措置は、戦争犯罪の告発という作者の意図に沿ったものであり、作品は「児童の最善の利益を違法に著しく害するものでも、人間の尊厳を害するものでもない」とした。
デッサンの持つ力と普遍性で見る者を揺さぶる作品。
作品の芸術性より話題性が先行してしまったが、実際のところどんな展覧会なのか。パレ・ド・トーキョーに行ってみた。会場には多くの肖像画があり、観客の目と肖像画の目の位置が同じ高さになるよう展示されている。
顔の輪郭と目の形がただの円になっている人物、髪がなく、性別や文化的背景が不明の人物、口や性器が真っ赤に塗られた人物がいる。カーンのスケッチ帳をめくって見せるビデオを見続けていると、そこに次々に映し出される人物から、言葉にならない孤独や絶望が伝わってくる。あえて顔の表情を描かなかったり、性別や文化的背景を曖昧にしたのは、世界中の誰もが自分や自国の人を投影できる共通性を持たせたかったからだろう。
カーンはナチスの迫害を逃れてスイスに移住したユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれた。バーゼルのデザイン学校でグラフィックを専攻し、1970年頃、フェミニズム、反核運動に身を投じた。90年代以降は、ユーゴスラヴィア戦争、湾岸戦争など戦争の暴力をテーマにした作品を制作するようになった。本展は1980年以降の200点を展示しており、フェミニストの立場から、性暴力を受ける女性を描いたものが目立つ。原爆を題材にした作品や移民を扱った作品も出ている。カーンの描写には、観客の感情を揺さぶる衝撃力がある。デッサンの持つ力を再認識させられた展覧会だった。
美術関係者の共同声明
展覧会を最後までを見れば、作者の立場は明確で、小児性愛を助長するという非難が的外れであることがはっきりわかる。国務院の判決が出る前、ルモンド紙に、フランス中の公立美術館や文化センターの責任者26人が共同声明を出した。「美術館は目を楽しませるだけのところではない、ショックを与えることはアートの使命でもある。アーティストの表現の自由を保証するのが自分達の役目だ」という内容だった。アートに関わる者にとって心強い声明だが、これだけの人数が集まるということは、S N Sを通じて熱狂が広がる風潮に対し、相当な危機感があったのだろう。
判決が出る前、国民議会で、極右政党「国民連合」の議員がこの件で文化大臣を問いただす場面があった。自分達の見方が絶対であるとの思い込みから、アーティストを非難し、作品を抹殺しようとする行動に、ナチスが前衛アーティストたちに「退廃芸術」の烙印を押し、作品を没収した事実が重なって見えた。次の大統領選挙で極右が政権を取ったら、この動きは一気に進むだろう。(羽)
Palais de Tokyo
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