ノルマンディー地方には、500品種以上のリンゴがあるという。その数だけでも驚きだが、そのうちシードル醸造用に認められている品種は230種。それらのリンゴは生食用のものとは違って片手で握りしめられるほど小粒ながら、締まった実には味と香りがぎっしり詰まっている。苦味、甘苦味、甘味、酸味と、味によって4つのタイプに分類されるさまざまな品種のリンゴを搾ってシードルにし、それを蒸留、樽で熟成させたものがカルヴァドス。コニャック、アルマニャックとともにフランスの三大ブランデーと評される。
今月、パリで『Le livre des Calvados カルヴァドスブック』のプレゼンテーションが行われ、その本によってこのお酒について少し知ることができた。著者はクリスチャン・ドルーアンさん。高品質のカルヴァドス製造者として有名で、彼の名を冠したカルヴァドスは日本でも愛好者が多い。
本を開けば、リンゴを育むノルマンディーの自然、カルヴァドスの歴史、テーブルを囲んで乾杯する幸福感、カクテルや食事とのペアリングなど多様な楽しみ方の可能性…芳醇な香りさえ感じられるようだった。ドルーアンさんにお願いして、収穫から蒸留までが行われているカルヴァドスの製造現場を案内してもらった。(集)
リンゴ果樹園は、自然の摂理と人間の智慧がつくりあげた小宇宙。
パリ・サンラザール駅からドーヴィル行きの電車で2時間揺られれば、カルヴァドス生産地のなかでも名高いペイ・ドージュ地方。ポン・レヴェック駅からならクリスチャン・ドルーアン社の蒸溜所までは数キロの距離だ。ノルマンディーの伝統的な農家の一角にある醸造所では、リンゴが次々と洗われ小さくカットされ、果汁が搾られていて、すっきりとした甘い香りが満ちていた。
ドルーアン家の「歴史的果樹園」は、木がポツリポツリと植わっている印象だ。これこそが、生産性優先の集約農業が行われる以前のリンゴ園だという。木と木の間隔を10メートルほど空けているから、木に陽が当たりやすい。病気が発生しても蔓延しない。また同園では、違ったリンゴの品種を35種ほど植えている。品種により病気への耐性が違うから、病気が発生しても果樹園全体のダメージを抑えられるのだ(リンゴは同種どうしでは受精しないため、混植が必要で、通常の果樹園でも15から40種ほど植えるそう)。
さらに、異なる品種の収穫時期は9月中旬〜12月中旬とさまざまなので、急な冷え込みで蕾や花が凍結しても、全滅にはいたらない。また、収穫が数カ月にわたるため、ワインのブドウ畑のように作業が数週間に集中しないですむ。花粉を媒介する蜂のために養蜂箱、木にはシジュウカラの巣箱を置き、虫を退治してもらう。
ノルマンディーといえば、花咲くリンゴの木の下で牛が草を食む風景が思い浮かぶが、これは写真ために牛を引っ張ってきたのではないということも教わった。牛はリンゴが大好きで、虫に食われたり傷ついた実が草の上に落ちたのを食べてくれる(収穫するリンゴが落ちる頃には牛は移動させる)。あまりにリンゴが好きなので、後ろ脚で立って高い枝を口でとらえ、揺すぶって実を落とすか、幹に体当たりさえするという。木が痛むので、牛が背伸びしても届かない高さに実がなるように、「高梢栽培」が行われている。木の幹を2メートルくらいまで伸ばしたところに接ぎ木をするものだ。生産性重視の「低梢」果樹園では、背の低い木を密に植えるが、牛の姿はない。
その昔は(今でも他のリンゴ園では)、リンゴの木をゆさぶって落とし、何十キロにもなるリンゴを納屋で追熟させていたが、今は成熟し草の上に落ちたリンゴのみ収穫するという。自然の摂理と人間の知恵がつくりあげた小宇宙に感銘を受けた。
カルヴァドス、3つの呼称。
生産地区により3つのアペラシオン(AOC/原産地呼称)があり、製造方法が規定されている。
Calvados Pays d’Auge (カルヴァドス・ペイ・ドージュ)
2回の蒸溜と、オーク樽での2年以上の熟成。ナシ使用は30%まで。
Calvados Domfrontais(カルヴァドス・ドンフロンテ)
ドンフロンの町とその周辺はナシ栽培に適した土壌で、ナシを30%以上使用するのが特徴(100%ナシのものも)。蒸溜は1回、樽で3年以上の熟成。
Calvados(カルヴァドス)
上記ふたつのアペラシオンは限定された比較的狭い地域だが、アペラシオン「カルヴァドス」を名乗れる生産地は広範囲に点在。製造法の規定も緩め。
「Blanche ブランシュ」はシードルを蒸溜したものを樽で熟成させずに瓶詰めする(熟成しないからカルヴァドスと呼ばない)。フレッシュなリンゴ香豊かでカクテル、カフェ・カルヴァ(右ページ)に重宝。ストレート、オンザロックでも。ジョルジュ・シムノンの推理小説の主人公メグレ警部はこれを炭酸水で割ったものを好んだ。シーフード料理にも合う。
クリスチャン・ドルーアンさんは政治学院を卒業後、イランやカナダで経済関係の仕事に就いた後、カルヴァドスを造っていた父親に誘われ、カルヴァドス製造と会社経営の世界へ。1985年から年に2回は日本に行く親日家で「カルヴァドスブック」も日本語版を先に出版。「この仕事を始めた頃、カルヴァドスについて学べる文献がなく」書き始めた。今ではカルヴァドスに関する著書も10冊になる。会社は息子のギヨームさんが継いだものの、毎日忙しい。
- “Le livre des CALVADOS
Des racines normandes – Une ambition mondiale”
Ed.Charles CORLET 39.50€
『カルヴァドスブック』翻訳 白須知子 2020年 たる出版
蒸溜所見学(もちろん試飲あり!)。
クリスチャン・ドルーアン社の蒸溜所と熟成庫は、ノルマンディーの伝統的なシードル農家にある。見学は個人は無料。もう少し踏み入った体験をしたい人には以下のコースがおすすめ。ブティックには同社の名酒が揃う。
2時間エクスクルーシブ
普段は一般公開しない熟成庫も特別公開。樽から直接の試飲もあり。
2名以上から催行、40€/人
ブレンドレッスン
熟成マスターのギヨーム社長の指導のもと、自分好みのカルヴァドスをブレンド。70clの自分だけのカルヴァドスを持ち帰りできる。110€/人。
● Calvados Christian Drouin:
1895route de Trouville 14130 Coudray-Rabut, Pont-l’Évêque
Tél.: 02.3164.3005
月〜土、9h-12h/14h-18h
20人以上の団体は要問い合わせ。
団体用にはランチのできるManoirも。www.calvados-drouin.com
C・ドルーアン社三代目社長、ギヨーム・ドルーアンさん。伝統的なカルヴァドス造りを大切にしながらも、ラムやシェリー、ウィスキー(「駒ケ岳モルトウィスキー」なども)などの樽でカルヴァドスを熟成したり、ナシのジンを開発し新製品にしたりと、冒険心も旺盛。
そんな彼に、パリでカルヴァドスのカクテルが飲めるバーほか、おすすめアドレスを聞きました。カフェ・カルヴァの復活にも尽力中。ギヨームさんのおすすめアドレスも近日掲載!
ルイ14世の不条理な勅令、ノルマンディー上陸作戦…
歴史のなかのカルヴァドス。
ドグーべルヴィルという人が1553年に初めてノルマンディーでシードルを蒸溜した、と多くの本に書かれているのだが、ドルーアンさんはこれを証拠がないとしている。紀元前にノルマンディーを征服したローマ人が多数のリンゴの木があったことを記録していたり、リジューで13世紀の蒸溜器の一部が出土しているという。16世紀スペインから新品種がもたらされてシードルの質が上がり、1606年には 「シードル・スピリッツ蒸溜者組合」が組織された。18世紀初頭に北ヨーロッパなどにシードルの蒸溜酒が輸出されるようになると、コニャックやアルマニャックの生産者たちが「シードルを原料とした蒸溜酒の生産地外への販売を禁止」するよう、ルイ14世に請願。1713年に国王がその旨の勅令を出し、カルヴァドスは輸出経路を絶たれた。それがなかったら今日カルヴァドスはもっと評価されていたはず、とドルーアンさんは言う。
20世紀、ノルマンディーは激しい戦闘の舞台となった。人々は、占領軍に酒や銅製の蒸溜器を没収されないよう隠したり、「ノルマンディー上陸」でこの地方を解放してくれた兵士たちにカルヴァドスをふるまった。ノルマンディー上陸80周年の記念セレモニーに退役軍人たちがやって来た時も、カルヴァドスで歓待したという。格別の一杯だったに違いない。
愛すべき、カルヴァドスをめぐる習慣。
食生活や多くの人の労働状況の変化で日常的には見かけなくなったけれど、こんな習慣もあるからこそ、カルヴァドスが好きだ !!
Café-calva
コーヒーにカルヴァドスを入れて飲むこと。かつて肉体労働者、工場や農場で働く人たちは「カフェ・カルヴァ」で早朝の仕事前に身体をあたため景気づけしたという。カルヴァをコーヒーに入れずに小さなグラスでサーブする店も多い。カップの底に残ったコーヒーをカルヴァを入れて「すすいで」飲むのは rincette。まだコーヒーが残っていると言い訳をして、再びカルヴァを注いで飲むのは sur-rincette。
Canar
カルヴァを角砂糖に浸透させてかじること。
Trou Normand
料理を何皿も食べる時(特にバターやクリームを使ったノルマンディー料理)、食事の合間にカルヴァドスをあおって食欲を回復させるのが「ノルマンディーの穴」。人々の食事が軽くなったり、短時間で済ませるなどの食生活の変化にしたがい、実践の機会も減ってきた一方で、トルゥ・ノルマンは儀式化もされている。会食者は起立し、グラスを顔の前に掲げ、カルヴァドスの色と香りを楽しんだらホストの合図で一気に飲みほすのだ。トルゥ・ノルマン騎士団の会合では、「トルゥ・ノルマンの歌」を皆で歌う。「~友よ、グラスを上げよ、気取らずに、一気に飲む 〈トルゥ・ノルマン〉の時が来た。カルヴァドス、おぉ清らかなる命の水……」。そして、グラスを空けたらピョンピョン跳ねて、カルヴァドスが胃袋のなかに場所をつくるのを助けるのだそうだ。
Calvados Christian Drouin
Adresse : 1895 route de Trouville , Pont-l'ÉvêqueTEL : 02.3164.3005
URL : www.calvados-drouin.com