ルワンダでは毎年4月7日から1週間、1994年のルワンダ虐殺犠牲者を追悼する慰霊式典が全国で行われる。それに合わせたかのように、ルワンダ虐殺におけるフランスの役割についての報告書が3月26日にマクロン大統領に提出された。
2019年4月に大統領がヴァンサン・デュクレール氏率いる歴史家委員会に依頼した同報告書は、虐殺への仏国家の「共犯」を否認しながらも、「否定し難い重大な責任がある」と結論づけた。マクロン大統領は「大きな前進」と評した上で今後も文書開示を進める意向で、関係文書の公開決定が7日、官報で告知された。
歴史家委員会は外交官、軍、情報局などのメモ、電報など約8千の文書を分析し、ルワンダ虐殺(80万人)の流れを追跡。仏紙が報道した報告書の内容によると、ルワンダは1962年ベルギーから独立後フランスとの関係を深め、とりわけミッテラン大統領とハビャリマナ大統領は親密だった。59年頃から始まったツチ族殺害で隣国に避難していたルワンダ愛国戦線(FPR)が90年10月に攻撃をしかけると、FPRを「外国勢力ゲリラ」「フランスの敵」とみなしたミッテランは仏人保護の名目で仏軍を派遣。フツ過激派によるツチ族・反政府派フツの虐殺の危険についての対外治安総局(DGSE)などの警告を無視し、大統領特別参謀らと密室で事を決め正規の命令系統を経ずにルワンダ駐留軍に伝えていた。報告書は、多数の文書の欠損・消滅を嘆いてもいる。
94年4月6日のハビャリマナ大統領の飛行機攻撃の直後も、事態を放置すれば「仏はルワンダ政権の共犯とみられる」という現地のDGSEや軍参謀の警告を黙殺。報告書は「事態の矮小化と共謀的沈黙があった」とミッテランや側近を批判する。フランスは6月になって人道支援のチュルコワーズ作戦を行うが、虐殺者を逃がしたと後に国際社会から批判を受けた。
ルワンダ政府による08年の調査委員会報告書は、仏政府は虐殺を事前察知し、フツ民兵組織に訓練を施し虐殺に加担したと批判している。ルワンダ紙は今回の報告書を評価しつつも、仏亡命中の虐殺加害者47人の訴追を求める。フランス人による傭兵活動や仏企業による虐殺者への武器・資金供与疑惑などの捜査は現在も進行中だ。
ツチ、フツの対立の発端は、ベルギーが植民地時代にツチ族を高等民族として優遇する人種政策をとったことにある。虐殺初期に平和維持軍を引き上げたベルギーは2000年、首相がルワンダを訪問して責任を認め謝罪した。在仏のツチ生残者44人が7日付ルモンド紙上で仏大統領に謝罪を求めたが、フランスが今後どういう姿勢を示すか注視したい。(し)