第一次世界大戦が終り、第二次大戦が始まるまでのつかの間の平和な時代、1925年、パリで開催された 「装飾芸術と産業の国際博覧会(アール・デコ万博)」では、ル・コルビュジエのエスプリ・ヌーヴォー館などの機能的でシンプルな近代建築と、幾何学的だけれどシックなアール・デコの装飾や建築が展示され、反響を呼びました。
ブローニュ・ビヤンクールの町には、この時代に急成長したルノーの自動車工場をはじめ、多くの産業が流入。それに伴って急増した新しい住民たちの住居が次々と建てられました。
工場が多いセーヌ寄りのビヤンクール地区にはおもに労働者のための住宅が、そしてブローニュの森に近い北側には、実業家や金持ちたち、さらに文化人、芸術家たちのための住宅が、大勢の建築家の手で競うように造られた。
ちなみに1920年の町の人口は8万人。ルノーの工場は最大時約3万人が働いていたという。
1934年に完成した市庁舎の吹き抜けの大ホールで、当時のこの町の住民気分を味わってから、ル・コルビュジエのアトリエや“パクボ・スタイル Style Paquebot”(パクボ:大型豪華客船)の建物を巡ってみた。
セーヌの両岸にナチスのドイツ館とソ連館が向かいあった1937年万国博「近代生活における芸術と技術の国際博覧会」 の後、アール・デコは消え、40年にはこの町もルノーの工場もナチスに占領されてしまいます。(稲)