飾らないけれど魅力的な町、ブレストへ。
市庁舎から、海に向かってなだらかな坂道が伸びている。ブレストの目抜き通り 「シャム通り」だ。シャム(現タイ)国王が派遣した大使がヴェルサイユ宮殿にルイ14世を訪れた際、ブレスト港に到着しこの道を歩いたことに由来するという。
観光シーズン中、城や水族館はすごい人出でも、この大通りはごった返すこともない。自動車の乗り入れも制限されているからトラムが通るくらいで、ゆったりとウィンドーショッピングや、テラスであれこれ地ビールを飲んだりできる(この町では車が通る道路でも、歩行者優先の徹底ぶりには感心する)。
そんなシャム通りは、フランス語を習い始めたころ授業で習ったプレヴェールの詩に出てきていた。
「… 思い出してごらん、バルバラ
ブレストには雨がしきりに降っていた
シャム街でぼくはきみとすれちがった
きみは微笑んで、ぼくもやはり微笑んだ…」
その「シャム街」がこの通りのことで、プレヴェールがこの街が好きだったことを今回知って嬉しくなった。詩人はブレストが第二次大戦の爆撃で見る影もなくなったことをパリで知り、詩の後半で 「戦争はバカげている」と書いた。
フランス第2の軍港は「町のなかの町」
町の中心を流れるペンフェルド*川。これを中心に海軍基地を作ることを宰相リシュリューが決めたのが1631年。軍事建築家ヴォーバンが基地の周りとブレスト中心街をぐるりと囲む要塞を作った。
川の右岸「ルクーヴランス地区」は造船所が設けれられて水兵と労働者の町、左岸のブレスト中心街は「Brest Même(本ブレスト)」と呼ばれるブルジョワの町、とふたつの世界が岸をはさんで対峙した。第二次大戦後、歩道もあるルクーヴランス橋が誕生し、人々が両岸を行き来するようになったというが、今でもそれぞれ趣は異なっている。今ではそのヴォーバンの壁はところどころに残る程度だが、観光局には壁めぐりの地図があるから、それを見て巡るのも一興だ。
波やうねりから守られた港で、海底が深いこと、内陸に造船のための資源が豊かなこと、そして当時の宿敵国イギリスとの位置関係などから大西洋側の海軍基地に選ばれ、発展したブレスト。だがそれゆえに、第2次世界大戦では、3万発の爆弾で町の9割が破壊された。それでもその後、町と軍港は再建され、ブレスト湾内のロング半島には潜水艦基地も造られた。
*ペンフェルド Penfeld : 実際に現地でフランス語での発音を聞くと「パンフェルド」という発音が多いのですが、この特集では、ブルトン語の語源(pen あるいは pennはブルトン語で「頭」の意味。フィニステール県はブルトン語では PENN AR BED ペン・アル・ベッドなど)に則って「ペンフェルド」と表記しています。
ブレストのイメチェン
ブレストの街の雰囲気は、10年前にトラムが開通した頃から変わり始めたといわれる。今でも町のど真ん中を海軍基地が陣取っていて、海辺でもアクセスできない場所もあるものの、造船所が移転した後、その建物を市民に開放したこともガラリと町の表情を変えたようだ。軍施設は最高のビューポイントに作られることが多いから、それを再利用した「アトリエ・デ・キャプサン」は、それまで見られなかった眺めを市民に開放したし、2016年に開通したロープウェイは、移動手段そのものが町のアトラクションとなっている。
もちろん、今日のブレストは軍港のほかに商業港、マリーナ2港があって、ヨット停泊のキャパシティではブルターニュ最大を誇る。造船がなくなった今も、大型船の修理ではフランス最大規模だ。
ブレストの人口はこの4年間で増加を続け、2020年には14万人を超え、今年は14万251人。高等教育機関や研究機関が多いことや、ブルターニュ地方でも雇用最多であることなども理由だろうが、この町を歩いていると、飾らない町なのだが魅力を感じる。だからみんな「地の果て」まで来てしまうのだろう。
【ブレストへの行き方と現地での交通】
ブレストへはパリ・モンパルナス駅からTGV直通で3時間半〜4時間。40€-。長距離バスも40€から。ブレスト市バス・トラム切符は1枚1.6€ (ロープウェイは1日有効の往復チケット2€あり)。タッチ決済のカードなら機械にかざすだけでチケット購入可(チケットレス)。検札時は決済したカードを見せるだけでよい。
Office de Tourisme de Brest métropole ブレスト都市圏観光局
Place de la Liberté, 8 Av. Georges Clemenceau 29200 Brest
www.brest-metropole-tourisme.fr/
Tél :02 98 44 24 96
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