元祖・墓マイラーに聞く フランス名墓10選!
文芸研究家のカジポン・マルコ・残月さんは、世界各地、数千人のお墓参りをしてきた元祖「墓マイラー」。その旅路をつづるブログは、偉人への敬愛の情、道中の出会い、苦労の末に墓と出会う喜びにあふれています。フランスの偉人の墓から、印象に残るものを10回にわたって、教えていただきます。
今年はゴッホの没後130年。オヴェール=シュル=オワーズのゴッホ兄弟の墓は、私がこれまで墓参したなかで最も感動的でした。ゴッホは生前に一枚しか絵が売れず、弟テオが仕送りで生活を支えていました。やがて弟に赤ん坊が生まれ、仕送りの大変さを悟ったゴッホは、「これ以上迷惑をかけられない」と37歳で命を絶ちました。
テオは自分の子どもをフィンセントと名付けるほど兄が大好きだったため、その死に打ちのめされ、わずか半年後に心の病となって衰弱死しました。テオの仕事は画商であり、優しかった彼は兄の絵をうまく売れなかった責任を感じていたのかも知れません。
テオの妻ヨハンナが兄弟の墓を並べ、現在2人の墓は、ゴッホの主治医ガシェの息子が植えたツタの葉で一体化しています。ツタの花言葉は「死んでも離れない」。私はゴッホの墓に世界各地でゴッホ展が長蛇の列になっていることを報告し、テオには「あなたがいなければお兄さんの絵もなかった」と手を合わせました。私にとって、墓はただの石ではなく、人そのものです。(カ)
オヴニー読者の皆さんアンシャンテ!
文芸研究家で墓マイラーのカジポン・マルコ・残月です。
「墓マイラー」とは歴史上の偉人に感謝を述べたり、その存在を身近に感じたくて巡礼する人のことを言います。チャップリン、ゴッホ、手塚治虫、たった一度きりの人生を、素晴らしい芸術作品で豊かなものにしてくれた偉人たち。感動のもらいっぱなしでは申し訳なく、「ありがとう」の一言だけでも伝えようと、10代の終わりから33年間にわたり、世界五大陸101カ国2520人のお墓参りをしてきました。
最初に墓参したのは、青春時代に感化されたロシアの文豪ドストエフスキー。人間に向ける彼の眼差しの優しさに何度も救われました。1987年にサンクト・ペテルブルクで墓前に立ったとき、「本当にいたんだ!」という感動に包まれました。それまで作品に胸を打たれながらも、作者についてはどこか架空のヒーローのような非現実感がありました。しかし、目の前の墓石は確かにこの世にいたという証拠であり、強烈な存在感に圧倒されたのです。
この墓地には作曲家チャイコフスキーの墓もあり、墓地を出る頃には「他の芸術家にも御礼を言いに行かないと!バッハ!シェイクスピア!ゲーテ!」と決意を固め、ライフワークとなる巡礼の日々が始まりました。
偉人の墓には故人が大切にしていた言葉や信念が彫られていることがあり、私はラストメッセージを聞くつもりで墓所を訪れます。95歳の長寿を生きた映画監督ビリー・ワイルダーの墓には「NOBODY’S PERFECT(完璧な人間なんていないさ)」という自作品の有名な言葉が刻まれ、墓参者を励ましてくれます。
墓参を続けるなか、ドイツの強制収容所跡にあるアンネ・フランクのお墓も強く印象に残りました。墓前にはたくさんの手紙が置かれており、英語、スペイン語、仏語、韓国語、日本語、いろんな言語で書かれていました。墓参者は国籍が違えども15歳のアンネを追悼する気持ちで一つになっており、文面は「あなたのことを忘れない」というメッセージであふれていました。
米国のワシントンD.C.に眠るヘレン・ケラーも特筆すべき墓です。彼女は恩師のサリバン先生と同じ墓所に入り、点字の銘板に2人の名が並んで刻まれているのですが、墓参者が指で点字をなぞるため、そこだけ黄金色に輝いています。私は「ここまで色が変わるのに、何千、何万の人がお墓参りしたのだろう」と胸が熱くなりました。
ベートーヴェンやブルース・リーの墓前でも様々な国籍の巡礼者と出会いました。
世界のどの墓地でも、亡くなった家族や友人を愛しく、懐かしく思って、追悼している人を見かけました。その表情は穏やかな人もいれば悲しみをたたえた人もいます。そこに宗教や人種の違いはありません。芸術作品から感じていた「人間は国籍や文化が違っても、相違点より共通点の方がはるかに多い」ということを、墓巡礼を通して確信したのです。「互いに違うところを見るのが戦争、同じところを見るのが芸術や墓巡礼」、この結論に至る33年でした。
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