Q:このお店は4月からですか?
神崎:そうです。
Q:紹介してくださった方から、パリの前にはマントンにいらしたと聞かされました。
神崎:そうなんです。マントンのお店には7年間いまして…私の経歴はちょっと変わっているかもしれません。
Q:そうですか、聞かせていただくのが楽しみです。よろしくおねがいいたします。それでマントンには7年?
神崎:それこそCommis de cuisine見習いから入って最後にはChef de cuisine厨房を総括するシェフになりました。すごく仕事を評価してくれるシェフで、女性だの日本人だのということには関係なくやる気さえあればどんどん上に行かせてくれる方だったのでやりがいがありました。
Q:シェフは何とおっしゃる方?
神崎:マントンにあるMirazurミラズールという二つ星レストランのシェフで、Mauro Colagreco マウロ・コラグレコという人です。
Q:イタリア人?
神崎:いや、イタリアとアルゼンチンの血が混ざっています。世界のベスト・レストラン(イギリスの月刊誌Restaurantが選ぶ世界のトップレストラン50ランキング)の今6位に選ばれるシェフです。景色も最高で、本当に美味しいので是非行かれてください。
Q:機会があれば是非行ってみたいです。それにしても世界ランキングでそこまで上位につけるというのはすごいですね。
神崎:国際イベントには必ず呼ばれるシェフで、私もすごくやりがいがありました。それからシェフの作る料理がすごく好きだったので、だからこそ7年間働けたのだと思います。
Q:ちなみにフランスへはマントンを目指して?
神崎:いや、経歴をお話しすると長くなってしまうのですが…
Q:どうぞどうぞ。
神崎:もともと、大阪・あべの辻調理師専門学校で1年間勉強して、その後東京にあって今は閉めてしまったシェ・マリオという中川麻里生シェフの店で2年間働きまして、その後フランスに来て何も知らないまま2年間研修生として4軒まわらせていただきました。
Q:それはワーホリで?
神崎:とても個人的な話になってしまうのですが、昔スーシェフの男性と付き合っていて、その人が先にフランスへ行ったので自分も行きたいと思ってフランスへ来たんです。コネもなくて言葉もできなかったので、とりあえず1ヶ月だけ語学学校へ入ってそこで何百通も手紙を書いて、ダメ元で店のある地方まで行って門前払いをくらったこともままありました。そうしてやっと決まった店がアヴィニョンにあって、なぜその店に決まったかというと、店のシェフが辻調フランス校の学生をとっていて、履歴書を見て私がフランス校出身だと勘違いしたかららしいです。そこで私が世話になった肉部門のシェフがルカ・カルトン出の人で、紹介状を書いてくださってパリに出てルカ・カルトンに入ってからが結構トントン拍子でした。やっぱり三つ星レストランに入るとその後が楽、というか。それが2000年ぐらい、すごく昔の話です。あとはクリスチャン・コンスタンさんの店など、全部研修生として一つ、二つ、三つ星を見させていただきました。そこですごく感じたのが一つは自分が女性だということ。二つ目は言葉の問題、そして三つ目が技術の問題です。周りが30代のものすごくできる日本人の男性ばかりだったので、上に行くにはもっと自分の腕を磨かないと無理だなと思いました。そこで一度日本へ戻って5-6年修行してからフランスに戻ってこようと決めたんです。
Q:その時はおいくつでした?
神崎:21か22歳でした。そうして日本に帰って、そこらじゅうの有名なお店に電話をするんですが、女性というだけで門前払いというか話にもならない、という感じでした。
Q:そうなんですね。
神崎:あの時代は「料理の鉄人」などが流行っていて料理人ブームということもあったので、男性じゃなければという風潮だったのだと思います。でもたまたま知り合いでレストランのパティシエをやっていた方が私に、仕事が決まらないでぶらぶらしているぐらいならうちでお菓子の勉強をすれば?と誘ってくださって、そこでお菓子の基礎というか色々なことを2年間学ばせていただきました。その時に私が見てきたレストランでのデザートと、店で売るデザート=お菓子に対する仕事の仕方がすごく違うことがとても勉強になりました。
Q:どういう風に違う?
神崎:例えば生クリームや生地に対しての作り方、取り組み方の違いがあります。お菓子屋さんでは材料にしても分量にしても 、45個のお菓子を作るのにきちきちと全部が決まっているじゃないですか。料理人というのはやっぱり味見をしながら「ちょっと足りないかな?」と塩を入れたり砂糖を足したりする。そういうこと一つ一つが「こんなに違う!」という驚きの連続でした。でもこの経験が後に役立つんです。そしてそのあとにはミラヴィルという都志見セイジさんのところで2年間お世話になりました。そこもすごく厳しいお店で、私はすごく落ちこぼれでしたが、そのおかげもあってフランスで生き残れたかな、と思っています。
Q:ミラヴィルは東京のどこにあったんですか?
神崎:当時は渋谷の近くでした。10年を機にお店を閉めて、今はシェフの名前でお店を開かれています。このお店で2年間勤めた後に、フランスへ行く前の6ヶ月間、銀座にあった女性がオーナーのワインバーで、自分で料理を決めてお客さんに出すという仕事をさせていただきました。その後念願が叶って、昔からとても行きたかったアルボワArboisにあるジャン=ポール・ジュネ Jean-Paul Jeunetシェフの店に行きました。
Q:ワーホリで?
神崎:そうです。2月からバカンスでお店が閉まるまでの10ヶ月間です。そしてその後、マントンのMirazurに行きましたが、本当にワーホリでのわずかの期間しか残っていなくて、運試しというわけではなかったんですが入れてもらって、たまたまシェフに気に入っていただいたというか馬が合って労働許可証を出していただくことになって、そこから7年間働きました。Arboisアルボワの店でも「女性はダメ」と最初言われたんですが、「入れてくれればなんとかします」と粘って、本当に粘って入れてもらいました。
Q:2000年代の後半ですよね?
神崎:2007年です。
Q:その時でもまだそんな感じだった?
神崎:そうです。
Q:でもピック(Anne-Sophie Pic – ヴァランスの3つ星レストラン女性シェフ)も出てきた時だし、エレーヌ・ダローズもすでに有名でしたよね?
神崎:そうなんですが、このアルボワの店はチーム全員がロビュションやデュカス出の先鋭ばかり、三つ星で修行した人たちでチームが構成されていました。だからそこへ私が入っても場所がない、というか仕事を見てもらえればよかったんでしょうけれど研修以上には行けませんでした。
Q:女の子一人?
神崎:他にパティシエのフランス人女性が一人いました。そこで、1年間賄いを担当させてもらって
Q:賄い!?
神崎:でもそれがすごく勉強になりました。毎食必ず、どんな料理にもソースを作らなければならなかったんです。でもJusジュやFondsフォン (調理の際に出る汁)は使わせてもらえなかったので、自分で一から、どうにかソースを作らなければなりませんでした。
Q:賄いの献立もご自分で?
神崎:そうです。それもすごく勉強になりました。最初は本当に「Dégueulasseまずい!」と言われて(笑)、目の前で捨てられたりもして
Q:えー!
神崎:ショックだったんですけれど、そのおかげで勉強をして作ったら最終的には「美味しい」と言ってもらえるようになりました。この賄いで初めて肉の火入れも勉強させてもらったんです。その前まで私は火入れを一切やったことがなかったんです。ここで試させてもらって、Mirazurに入った時に初めて(肉)部門シェフになっても問題なく務めさせてもらいました。弱肉強食というわけじゃないんですが、仕事ができなければ外される、という気持ちでずーっといたので
Q:緊張の連続。
神崎:でしたね、本当に。Mirazurで最初に配属されたポストはお菓子部門でした、おそらく女の子ということもあったんでしょう。でもお菓子は3日だけで、すぐに料理の方へ回してもらって
Virtus
Adresse : 8 rue Crozatier, 75012 ParisTEL : 09.8068.0808
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火〜土 12h-14h / 20h-22h30。昼のセット (メインとチーズ)17€ 夜はデギュスタシオンコースのみ 55€ とデギュスタシオンに合わせたワインコース40€。