フランスが誇る文豪モーパッサンの長編小説2作目は『ベラミ』(1885年)。容姿を武器に出世街道をひた走る青年、デュロワが主人公だ。もともとの才能はたいしてない。でも、有能で権力のある女性に取り入ることは誰よりも上手で、あきれるほど要領よく世渡りをしていく。
ノルマンディー地方で酒場を経営する両親のもとに生まれたデュロワがパリの上流社会にのし上がっていく過程は波乱万丈で、読み始めると止まらない。当時のパリの華やかでセンシュアルな社交界の描写は美しく魅力的で、1900年代から現在にいたるまで映画化されてきたのも納得が出来る。イギリス映画『ベラミ 愛を弄ぶ男』も記憶に新しいし、フランスではテレビドラマ化もされている。
物語は、しかし、静かに地味に始まる。読者の前に現れるデュロワは、パリの大通りを空威張りで歩く貧乏な独身青年のひとりに過ぎない。兵役を終えてパリで仕事にありついたとはいえ、しがない安月給のサラリーマンだ。「懐中には月末までの金がちょうど三フラン四十残っている。これはつまり昼飯ぬきで晩を二度か、晩抜きで昼飯二度か、どちらかということである。午前中の食事は晩のが三十スーかかるところを二十二スーだから、昼飯だけで我慢すれば、一フラン二十サンチームの余りができ、それでパンとソーセージの弁当が二回食べられ、その上にブールヴァールでビールが二杯飲める」。(杉 捷夫訳)
モーパッサン自身は貴族の血を引き継ぎ、兵役の後にパリでは役人として働いていたので、食べるにことかくようなことはなかった。でも、当時のパリには、きっと今もそうであるように、お腹をすかせた野心にあふれる若者がいくらでもいたのだろう。(さ)