モーパッサンの傑作『女の一生』(1883年)では、作家自身の家族が登場人物のモデルになっている。主人公ジャンヌの父親のモデルになったのはモーパッサンのふたりの祖父といわれていて、貴族生まれの、一風変わった知識人として描かれている。この人の好い男爵は、俗世間の荒波から守るために可愛い娘を修道院に送ってしまう。「十七になったら、純潔なままの娘を返してもらいたいと男爵は望んでいた。そして自分の手で、娘を正しいりっぱな詩の浴槽というようなもので湯あみさせようと考えていたのだった。そして、野を歩きまわり、豊饒な大地のふところで、素朴な恋の姿、動物の無邪気な愛情、生命の清純な法則などを見せて、娘の魂を聞いてやり、無知のしびれをほぐしてやろうと思っていたのだった。」(新庄嘉章訳)
ジャンヌがノルマンディーの田舎の屋敷に戻ってから間もなく、男爵は娘のためを思って結婚相手を見つけてくる。そして、娘の意向を聞く前に、婚約パーティーの手はずまで整えてしまうのだ。客間のテーブルをボンボンの箱でおおい、花束を用意し、町の高級食料品店から「おいしい匂いのする大きな平たい籠」を馬車で運ばせた。若く従順なジャンヌは、未来の夫への恋心に包まれて夢見心地だが、悲しいかな、その幸せは長くは続かない。
この小説が発表されてから3年後。モーパッサンは『アマブルじいさん』という短編で、同じくノルマンディーの田舎を舞台とした婚礼の場面を書いている。こちらは貧しい農民同士の婚礼だから、ふるまわれるのも田舎料理のオンパレード。すでに子持ちのこちらの花嫁は、生命力にあふれる大女。野良仕事に追われながらも、しっかりと根回しをして希望の結婚を実現させた。人形のように可憐なジャンヌとは対照的なこの農婦、幸せの舵取りは、彼女の方が数段上みたいだ。(さ)