師匠のフロベールから、物事をしっかりと観察して描写することの大切さを教わったモーパッサン。初めて手がけた長編小説『女の一生』(1883年)には、そうやって時間をかけたからこそ得られたであろう、美しい表現が散りばめられている。
全編を通して沈うつなストーリーを救うかのように描かれるのが、ノルマンディーの畑や牧場を彩る緑、田舎ならではの優雅な邸宅、新婚旅行で出かけたコルシカ島に降り注ぐ太陽など。色の描写が特に見事で、いくつかの場面は、まるで印象派画家の絵画を鑑賞しているような気にさせられる。食べることには人一倍興味があったモーパッサンだけに、色を表現するのに食べ物が引き合いに出されることも。例えば、ノルマンディーの屋敷に飾られたタピストリーを説明する一文。「緑と赤と黄の、世にも異様な服をまとった若い領主と若い貴婦人とが、白い果物の実った青い木の下で何やら語りあっていた。木の実とおなじ色の大きな兎が、灰色の草をすこしかじっていた」。また、その邸宅の正面に広がる芝生は、「夜の光の下でバターのように黄色く見えた」(新庄嘉章訳)とある。平凡な景色でも、芸術家の目を通してみると、とたんにドラマチックになる。
ところで、12歳の時に両親が離婚してからというもの母の元で育ったモーパッサンにとって、フロベールは単なる文学の師匠にはとどまらない特別な存在だった。『女の一生』は「世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね」というフレーズで締めくくられるが、これは、フロベールが1878年にモーパッサンに宛てた手紙に書かれていたものの引用だ。残念なことに、『女の一生』が完成する前にフロベールは亡くなってしまったが、広い意味でとらえると、この作品は師弟の生んだ共作だったのだと思う。(さ)