サン・ジャン教会とアジア
51年12月24日
「Xマス。サン・ジャン教会の夜ミサに出る血痰つづく」
遠藤がクリスマスのミサに参列したサン・ジャン教会。実は東洋とキリスト教の関係の歴史を語る上で重要な場所だ。
1245年、教皇インノケンティウス4世がこの場所で公会議を開いた。そのとき初めてはるか東方のモンゴルに正式な使節を派遣することが決まった。
当時のキリスト教会は、十字軍による聖地奪回に苦戦しており、「プレスター・ジョン」なる謎の司祭が東方で回教徒を相手に孤軍奮闘しているなどといった伝説も信じられていた。モンゴルが自分たちを助けてくれるかもしれない。使節団長のイタリア人司祭カルピニがモンゴルのハーンに手渡した親書には、キリスト教に改宗して回教徒を駆逐するようにと記されていた。しかし世界制覇をもくろむハーンはこの勧めを拒み、逆に「自分たちに逆らう者は征服する」という挑戦状を教皇に返した。そしてその言葉通り、史上最強の騎馬軍団がポーランドまで攻め込んで西洋世界を脅かすことになる。
遠藤は文学作品を通じて「キリスト教は日本人が受容できる宗教なのか?」という問題を終生考えてきた。そんな彼が作家になる以前、病におかされた留学生として、まさに東洋とキリスト教が向き合う出発点となった場所で聖夜をすごした。外の旧市街の喧騒をよそに、静寂に包まれた回廊には「東洋・西洋」を結ぶ歴史の深い縁 (えにし)が宿っているように感じられる。
戸塚 浩(texte : Hiroshi Totsuka)