「毎晩、十一時頃になると、カッフェにでも行くように、ふらりとそこへ出かける」(青柳瑞穂訳)。これは、モーパッサンの短編『テリエ館』(1881年)の書き出しだ。短くて何でもないようでいて、美しい一文だ。「そこ」とは、ノルマンディー地方の片田舎フェカンにある「気のおけない家」で、その家では、主人である気のよいマダムが5人の娼婦たちと暮らしている。都会のような偏見がないその地で、マダムはある威厳を保って堂々とその「けっこうな商売」を営む。町の男たちは、この家に寄って話をしたり、ちびちびとシャルトルーズをなめたり。どこかのんびりとした男たちは、牛や畑のように、ノルマンディーの牧歌的な風景を構成する一要素のよう。
これまた牧歌的というか、のどかというか、その家のマダムは、娼婦たちを引き連れてピクニックに出かけたりする。「ヴァルモンの渓谷を流れている小川の岸べに行って、その草の上で遊び戯(たわむ)れるのだった。(中略)草の上に座って、ハムやソーセージを食べ、林檎酒(シードル)を飲む。そして、日が暮れかかると家路につく。体は気持よく疲れ、心はなごやかな感動で満ちあふれている。そして、車の中では、みんな競ってマダムに接吻しようとする。おとなしくて親切な、とても優しいお母さんのような気がするからだった」。
フェカンの西を流れるヴァルモンの小川はモーパッサンにとってなじみが深く、若い頃はギイ・ド・ヴァルモンという名で作品に署名をしたこともあった。作品中で、しばしば生まれ故郷のノルマンディーを舞台にしたモーパッサン。その土地の風俗を揶揄することも多いが、その根底には、母なるものへの憧れや郷愁の気持ちが流れているように思う。(さ)