職人芸術家フジタの工房。
サロンから上る屋根裏のアトリエは、君代さんもほとんど立ち入らなかったというフジタの聖域です。
広い屋根裏には窓が案外たくさんあって、本来は自然光に溢れた空間のはずだけれど、展示品保護のため鎧戸が閉められていて真っ暗。案内のフロランスさんが点灯してくれる。
1960年の秋にこの家を入手したフジタ夫妻は、一年かけて改装した後にパリから引っ越している。
天井の梁の隅に、この家の由来が記され、家の絵と乾杯する夫妻の姿が添えられています。
アトリエには画材やさまざまな道具類が、ほぼフジタの生前のままに置かれています。
パレットや絵の具、版画のプレス機、版画やデッサン、棚には日本画の染料や顔料、ユトリロからもらったというパステルなどがぎっしり置かれている。面相筆や刷毛、硯と墨もある。
開館間もないころに訪れたときには、 和光堂のシッカロールや缶入りの墨汁もあった。今は無くなっていて、フランス製のタルクが置かれている。フジタの《乳白色の肌》は、鉛白とこの天花粉を使ったのではと言われ、繊細な輪郭線は墨と面相筆によるもののようだ。
シンガーのミシンはナプキンやカーテンを縫ったもの。フジタはロンドン滞在中、仕立屋のバイトで縫い物を覚え、自分の洋服も自分で型紙をとって縫っていたという。
「作家はアルティストであるより前に、アルティザンでなくてはならない」というのがフジタの信条だったのです。
ルネサンスへの畏敬。
階段脇の壁にかかる肉感的な姿態の『三人の女』 は、1930年の作品。そして反対側の壁に描かれているのが、1959年にランスで洗礼を受けレオナールとなったフジタが、1966年に描いたノートルダム・ド・ラ・ぺ (平和の聖母)礼拝堂のフレスコ画のための習作です。
戦争画の頃から古典絵画に強く惹かれていたフジタは、画家として、そしてキリスト教徒として、ルネサンス絵画の巨匠たちの表現を探求し、彼らへの深い憧憬と尊敬の思いを込めて、この最後の大作に取り組んだのです。この習作には、ジョット、ミケランジェロ、それにもちろんレオナルド・ダ・ヴィンチの肖像を描き入れている。
ランスの壁画を制作したのが80歳のとき。精魂を使い果たしたフジタは、その後体調を崩して入退院を繰り返し、入院先のチューリッヒの病院で、その波乱に満ちた生涯を閉じた。遺体は村の墓地に葬られたけれど、その後ランスの礼拝堂に移葬され、2009年に死去した君代さんとともに眠っています。