パリの南西、エソンヌ県の村ヴィリエ・ル・バクルに、レオナール・フジタ(藤田嗣治 ・1886~1968)のアトリエ兼住居が公開されている。
第二次大戦後の1950年に君代夫人を伴ってパリに戻ったフジタが、最後の人生を過ごした家です。
いちばん近い駅から3km近く離れた交通不便なこの村に住むことにしたのは、他人に煩らわされず制作に没頭したいという思いからだった。
村役場のある広場に近い家は、街道に面していて、道路側から見ると2階建てだけれど、庭側からは3階建ての造り。18世紀の農家を改装した小さな家は、フジタの手による絵皿やブリキ細工のオブジェなど、驚くほどかわいらしいモノの数々で埋まっていて、フジタ夫妻の穏やかな暮らしぶりを伝えている。 画材や工具が残された屋根裏のアトリエには、晩年のフジタが心血を注いだランスの礼拝堂を飾るフレスコ画の習作も並んでいます。
エコール・ド・パリを代表する人気作家でモンパルナス狂乱の時代の主役だったFOUJITA、軍部に協力して戦争画を描き、戦後その責任を問われ非難を浴びた藤田といったイメージとは異なるこの小さな田舎家は、人間フジタのやさしい姿が感じられる場所なのです。 (稲)
取材・文・写真 稲葉宏爾
La Maison atelier Léonard FOUJITA
今もそこにフジタがいるような…。
RERのB・C線が交わるマッシー・パレゾー駅からバスで30分。途中、パレゾーにあるエコール・ポリテクニークの構内を抜け、さらにサクレーの畑の中に建つCEA(原子力庁)を過ぎると間もなくヴィリエ・ル・バクル。ロンポワンで下車、木立の繁る村の中心の広場に向かいます。
村役場隣のレストランの前から延びる街道を行くとすぐ、壁に大きなS字型の鉄製アンクルが付いた田舎家が見える。フランスの田舎ならどこにも見られるような、この石造りの古びた家が「ラ・メゾン・アトリエ・レオナール・フジタ」です。
街道に面して小さな扉があるけれど、このドアは閉ざされていて、右手の大きな鉄柵の門が入口。門を入って右側の館が管理棟になっていて、まずここでビデオを見てから、フジタの家に案内されます。
君代夫人は1968年のフジタの死後もこの家で暮らしていた。1991年、帰国を決めた君代さんは、フジタの生前のままに保たれていた家をエソンヌ県に寄贈。県が改修して2000年から一般公開している。
道路から一段下がったところに建つ家の南側は広い庭で、樹木に覆われた緑の急斜面が、下を流れる小川へと落ち込んでいる。
案内してくれたフロランスさんが、庭に面した扉の鍵を開けて、フジタさんちに入リます。
上の階への階段を挟んでのキッチンと食堂。台所の奥には暖房給湯器や配電盤のあるカーヴ(物置)とシャワー室があるけれど、ふだんは非公開。カーヴの壁には君代さんへの配慮か、給湯器の操作法などが日本語で書いてあり、赤い栓には《サワルナ》という注意書きがある。
台所の流しや調理台などは典型的な60年代のもの。調理台に置かれた鍋やボウルに混じって、急須やかき氷機が置かれている。電気炊飯器も当時のものです。
流しの壁にはデルフトやスペインの古い絵付けタイルが貼られている。その中にはデルフトの絵をプリントしたシールを白タイルに貼ったものも混じっています。
朝食や庭での食事に使われた鉄のテーブルには、定食屋で使われるような赤白チェックの布と、風呂敷を利用したテーブルクロスがかかっています。
食堂に置かれた分厚い木のテーブルには、フジタが描いた絵皿が並んでいる。フジタお得意のネコたちや、男女の顔が向き合う2枚セットの皿など、ユーモアのあるものばかりです。
台所と上の階の古い木のドアは、フジタがスペインから持ち帰ったもの。この家に引っ越す前、カンパーニュ・プルミエール通りのアトリエでは、この扉の格子に合わせてフジタが描いたパネル画がはめ込まれていた。パリの路上で働く人々を描いた古い民衆版画に想を得た、『小さな職人たち』と呼ばれる連作です。
この多くは今、ポーラ美術館に収蔵されている。