タンタンやムール・フリットと並んでベルギーが世界に誇る顔となったストロマエ、そのアルバム『ラシーヌ・カレ』は350万枚の売上、その発売後に始まった世界ツアーは3年間続き、欧州、アフリカ、北米にまたがる25カ国で209回公演を行って、2015年10月、ストロマエの父方の祖国であるルワンダのキガリで幕を閉じた。12月、そのライヴを収録したDVDが発売になり、私たちはそのスケールの大きなショーをホームシネマで体験して、この希有なエンターテイナーの才能に改めて脱帽するのである。
この『ラシーヌ・カレ』世界ツアーの4人のバック・ミュージシャンのひとりが、パリ在住日仏ハーフのマルチインストルメンタリスト、ヨシ・マスダである。キーボード、電子パーカッション、ギターなどを担当し、その上ヴォーカル(+踊り)でもストロマエをバックアップする。ショーのハイライトでその最大のヒット曲である「パパウテ」では、コンゴのリンガラ・ルンバ調の高音クリスタルギターの音を響かせ、曲を最高潮に盛り上げる。そのツアーが終わり、3年間の「拘束」から解かれ、やっと自分のことができる、と現在パリで自分の複数のプロジェクトのために忙しくスタジオワークしているヨシに、エスパス・ジャポンでお話を伺った。
ヨシは日本生れのフランス育ち、10歳でフランスに移住し、こちらの教育環境で育ったので日本語はあまり得意でない(インタヴューはフランス語)。小さい頃からヴァイオリン、ピアノ、ギターを習い、リセの後パリのアメリカン・スクール・オブ・モダーン・ミュージック(ジャズミュージシャン養成学校)で学んだ。ミュージシャンよりは作曲家を目指して勉強し、今でこそストロマエのバックミュージシャンとして目立っているが、その影で映画音楽など多くの作曲も手掛けている。
ストロマエと出会う前はどんなことを?
ヨシ「スプリーンというパリのバンドのキーボーディストだった。そしてココロジー、ヤエル・ナイーム、ケジア・ジョーンズなどのバックをつとめ、その最後がディアムス(注:2000年代に絶大な人気のあった女性ラッパー。2010年を最後に精神疾患とイスラム教帰依を理由に引退)だった。その最後のコンサートの3日後に、僕はポール(ストロマエの本名ファーストネーム)に呼ばれてブリュッセルに向かった」
知り合ったのはその前?
ヨシ「彼の無名時代に200人ぐらいのホールでやったコンサートの前座(ギター弾き語り)で出たことがあり、それ以来の知り合い」
2010年から昨年10月のラシーヌ・カレ・ツアーの最終日まで、ヨシはストロマエのために無休で働きづめだったという。親友というよりも兄弟のような仲(ヨシ34歳、ストロマエ31歳)で、音楽的にもエレクトロ・ミュージックの同志として影響の与え合いも多い。この音楽は一人ですべてのことができるものだから孤独なイメージが強いが、彼らは5人でガッチリしたチームワークでやっている。
彼はリーダーとしてどう?わがままな暴君みたいなところない?
ヨシ「冗談が多くて、いつもみんなと笑いながら物事を進めるけれど、自分が欲しい音や形のイメージは最初から頭の中にあって、それをみんなで創り出していくんだ。だからみんなでステージの模型と人形を作って、プレイモビル遊びみたいに全員でステージ進行を考えたり、みんなでリンボー・ゲームをしながらシミュレーションしたり…」
3年間のツアーでの最良の思い出はやはりアメリカ?
ヨシ「僕たちは全く無名だったから、最初はフランス人コミュニティの客が多かったけど、日を追うにつれてアメリカ人が増えていって、タイムアウト誌は表紙見出しで
“ The Most Famous Pop Star you’ve never heard of ” とまで書いてくれて、日程最後のニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンは最高の盛り上がりだった」
ライヴDVD付録の写真集(80ページ)でもアメリカ人ファンの「Don’t know what you’re saying mais JE T’AIME」というプラカードの写真があり、そのアメリカ進出の成功を象徴している。
日本へは?
ヨシ「夏のフェスティヴァルからのオファーがあったこともあるんだけど、実現していない。2年前、1カ月ほどプライベートな休暇で日本に行ったことはあって、ポールはとても日本が好きなんだ。でもまず第一にアメリカでの成功という目標があったから、アジアは後回しになってる」
毎回コンサートの最後のカーテンコールで、ストロマエが客席に向かって深々とお辞儀しながら、日本語で”アリガトウゴザイマシタ!”って言ってるというのは本当?
ヨシ「最初は僕に対してそう言ってたんだけど、ポールはこの儀式が気に入って、コンサートの最後に毎回必ずやるようになった。その時マイクはオフになっていて、観客には全然聞こえないんだけどね」
件のDVDでは注意深く聞くとかすかに「ありがとうございました」の声が感知できる。メンバーの中で、コンサートマスター的な言わばストロマエの右腕のようなヨシとの固い友情を思わせる美しい話ではないか。そしてストロマエはメンバー紹介の時、彼を「ヨシオ!ヨシオ!」と呼ぶが、 実は「ヨシ」ではなく「ヨシオ」が本名。ここでも親密な仲を思わせる。
次のアルバムまでオフィシャルには休業中のストロマエ(12月に結婚したばかり。おめでとう!)だが、ヨシの予測ではその性格上あまり長くは休まないはず、と。だからいつまたお呼びがかかるかわからない状態で、今は必死にヨシ個人のプロジェクトに忙殺中(テレビシリーズの音楽、女性歌手イルマへの曲提供…)。自らのルーツである日本のことも頭にあり、夢は日本でスタジオを持って日本のアーチストをプロデュースすることも。フランスと日本をまたにかけた音楽創作活動を、と抱負を語っていた。その前に、ソロアーチスト、ヨシ・マスダとしてもっともっと露出して。応援しています。
文・向風三郎