しょっぱい音符 11月15日号

ミッテランのブギー・ワンダーランド。

ボーン・バッド・レコーズ監修コンピレーション 『フランス・シェブラン』

ボーン・バッド・レコーズ監修コンピレーション『フランス・シェブラン』

言葉の流行り廃りは激しい。今日びの日本の人たちは数カ月前に普通だった表現でも「それ死語」と切り捨てる。昭和日本人の私は、一時帰国のたびに死語を連発して浦島太郎と化してしまう。滞仏36年ですから。だからフランスで死語になった言葉も知っている。例えばこの「シェブラン」である。80年代初頭の表現。「ブランシェ branché」(枝分かれした、電源コードなどで接続された)は、最新流行のものにアンテナやコードで繋(つな)がっていて、事情通になっている人、最先端人を指す言葉だった。そのしばらく後に現れたのが、若者の町言葉風にそのベルラン(逆さ語)の「Chébran シェブラン」だった。
「大統領、シェブランとはどういう意味かご存知ですか?」―1985年4月、民営化の2年前で、まだ国営テレビだったTF1の人気ジャーナリスト、イヴ・ムルージが、81年当選からその恩寵の時期が過ぎ、次の選挙で左派が敗れて保革共存(コアビタシオン)内閣が出来る前年の、いささか色あせ気味の大統領フランソワ・ミッテランに聞いた。人気挽回を期するミッテランは精一杯若者たちにも理解ある「トントン」(そう呼ばれていたのだ。憶えてますか?)のふりをして、「私が若かった頃にだって既に言葉を逆さにして新らしがるなんて当たり前でしたよ。ブランシェと言いたいのでしょう?でも、もうそれも古いのですよ。今は “Cablé”(カブレ)と言うのですよ」
21世紀人たちには何のことかわかるまい。事情通のふりをして老大統領は、85年当時”ケーブル接続”こそ最先端、カブレはシェブランより先を行く、どうだまいったか、とテレビでにやっと笑ってみせたのだ。
ああミッテラン時代(遠い目)。私たちはどこか違っていた。ブランシェだったりカブレだったりすることに浮かれていた。進歩や新しいテクノロジーが次々に身近なものになった。TGVが開通し(1981)、一家に一台ミニテル(見たことない人多いかも)が置かれた(1980)。フォーラム・デ・アール(1979)とシャルル・ドゴール空港2(1982)は、建築界の最前衛だった。完成はやや後だが、ミッテランの「グラン・トラヴォー」(ルーヴルのピラミッド、ラ・デファンスのグランド・アルシュ、オペラ・バスティーユ…)はパリの風景を変えてしまう。フランスが長い眠りから目覚め、急に最先端なことをいろいろやり始めた。

同CD収録曲 クルーチー “Qu’est-ce qu’il a” (ジャケットは無名時代のピエール&ジル)

当時の在仏日本人にしてみれば「テレビのチャンネルが3つしかない国で?」という尺度の比較でこの急変を茶化したものだ。農業国でしょ、先端技術は全部輸入でしょ、という見方。
なにしろ当時は「テクノロジーは日本」という自信に溢れていたし、若者たちは日本製ウォークマンに夢中で、家庭用の日本製ビデオレコーダーは店で品切れになったり、時の政府(1982年予算相ローラン・ファビウス、当時36歳)が輸入規制して小さな経済戦争を起こしたり。
そんなフランスがゼニットなる国立メガ・コンサート会場を造ったり、音楽の日(フェット・ド・ラ・ミュージック)を制定したり、FM電波を自由化したのがこの時期。やっとジョニー・アリディの時代から脱したの感。民放3局と国営しかなかったラジオに、パリだけでも100近くのFM局が一斉に鳴り出したのだ。フランスの音楽事情は革命的に一変した。レ・アールにはキングスロードに比肩するストリートファッションが花開き、パラスとバン・ドゥーシュは世界で最もハイプなクラブだった。みんなブランシェだったのだ。否、シェブランか。どっちでもいい。そんな時代だった。
このフランスが妙な自信を持っていた時期の、フランス語によるクラブ・サウンドを集めたコンピレーションが11月13日にリリースされた。名付けて『フランス・シェブラン』。これを監修したレーベル、ボーン・バッド・レコーズは、メジャーシーンにはない奇妙なフレンチ・サウンドのスペシャリストで、70年代仏サイケデリック集 ”WIZZZ…”(今日まで3集出ている)、80年代アンダーグラウンド・シンセポップ集 “BIP”、70-80年代仏コールドウェイヴ集 “DES JEUNES GENS MODERNES”(2集)などで、ノスタルジー/シェリーFM等ナツメロ系FMとは全く無縁の、埋もれた往時の若者サウンドを発掘復刻して、私たち年寄りの記憶をディープにくすぐっている。
『フランス・シェブラン』は副題として、「フレンチ・ブギー 1980-1985」を標榜している。ここでのブギーは、アメリカ19世紀発祥のブギウギ、イギリス60年代発祥のブギー・ロックと混同してはならない。アメリカで70年代末に現れたポスト・ディスコ、エレクトロ・ファンクの流れのダンス・ミュージックである(cf. アース・ウィンド&ファイア「ブギー・ワンダーランド」)。フレンチ・ブギーの代表的ヒットは、(後年フランス最初のラップと評価されることになる)シャグラン・ダムール ” Chacun fait (c’qui lui plaît)”(日本で「フレンチ・ナイト」というタイトルでシングル盤が出た)である。その他エレガンス ”Vacances j’oublie tout”、ル・クラブ “Un fait divers et rien de plus” などが、当時のFMでヘビー・ローテーションだった。この種のビッグヒットは既に大手のレコード会社の企画する80年代ヒットコンピレーションで何度も出ているので、この『フランス・シェブラン』には入っていない。
「まだすべてが可能だと思われていた時代の反映、今日インターネットが”フレンチ・ブギー”と呼んでいるシンセ・ファンクの多くは、歌詞を語りで表現していて、来るべきフレンチラップの到来を告げるものだった。ポスト・ディスコと見做(みな)され、ブラックミュージックに育まれ、ニューウェイブも染み込んだこの脳天気なポップミュージックは、簡単に手に入る喜び、見せかけのカッコ良さ、太陽の下でのヴァカンスへの嗜好を他愛もない歌詞で歌っている」
と、詳細な24ページ解説ブックレットの最初の4行はこの音楽を定義している。収められた18曲はどれも長い。FMがアナーキーだった頃、1曲3分というフォーマットが無視され、マキシのフォーマットが好まれた時代だった。81年、刑法から「同性愛=軽犯罪」がやっと削除され、ゲイ・カルチャーが大手を振って前面に出て来る。エイズ禍が猛威をふるう前夜の年月、私たちのセックスは怖いもの知らずだった。(束の間の)楽天的で享楽的でバブリーな時代のサウンドトラック18曲。シャブランだった人々だけでなく、若い人たちも再発見されたし。

文・向風三郎

抽選で3名様に、 ”France Chébran” をプレゼントします。
ご希望の方は、件名を  「Chébran」として、monovni@ovninavi.comまでメールをお送り下さい。

同CD収録曲クルーチー”Qu’est-ce qu’il a”
(ジャケットは無名時代のピエール&ジル)


 

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