“JUDO”=「柔道」が、国際語となって久しい。
1951年に国際柔道連盟(IJF)が発足し、1964年の東京オリンピックで正式種目に採用されてからは、知名度が一気に上がった。当初男子4階級のみだった五輪柔道は、今では男女各7階級に。メダルの総合獲得数は日本が72個、次いでフランスが44個だ。メダルの数こそ日本には及ばないが、フランスの柔道人口は約60万人。登録基準などは異なるが、日本の約17万人に比べると、3倍以上だ。
フランス柔道ことはじめ。
日本で創生された柔道が、なぜこれほどまでフランスで発展普及したのか。その歴史は1935年、川石酒造之助(1899-1969)が柔道普及のために渡仏したことに始まる。川石は外国人にも習得しやすいように、技を分類して系統づけた。これは「川石メソッド」と呼ばれ、今でもフランスの昇段審査会に活用されている。また、習熟度に応じて白・黄・橙・緑・青・茶、黒等の色帯を考案。子どもの興味やモチベーションを保てる、嬉しい工夫だ。
初五輪、そしてモスクワの金。
1950年には、粟津正蔵(1923~)が助手として招聘(しょうへい)され、フランス柔道チームの五輪初参加時の代表コーチを勤めた。オリンピックを通してフランス国内での「JUDO」の知名度は上がり、柔道人口は増加の一途をたどる。1980年のモスクワ五輪で初の金メダルを2階級で獲得してからは、さらにブームに火が付いた。フランス人に受容されてきた理由は知名度だけではない。相手を敬い
「礼」から始める教えは「教育的価値が高い」と、小学校の授業としても取り上げられている。靴を履く文化を持つ国で、裸足になることへの抵抗は決して小さくないはずだが、道着一つになることが謙虚で誠実になれることも、魅力の一つではないだろうか。
柔道先進国、フランス。
柔道は、その精神性や武道性に、スポーツとしての競技性など多様な面を持つ。1994年には誤審騒動により、「審判員を監督する審判委員」=「ジュリー(Jury)」が設置された。2007年にはビデオ判定も導入。世界レベルの競技試合や民間レベルでの親善試合など、国際交流が増えるなか、時勢に合った改善策を学ぶ姿勢を崩さない。1997年からの青色道着の本格的導入をはじめ、世界ランキングに見られるポイント制の導入は、フランスの提案によるものだ。「柔道の理念」「指導者の質」を保ちながら、フランスは国際柔道界に大きな影響を与え続けている。(治)