料理が一番好き。

中山豊光さん(44歳)

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ご本人に失礼かもしれないけれど、中山さんと話をしながらとても懐かしい気持ちになる。小学校、中学校のクラスにいた、ほら、あの彼だよね、と昔の同級生に出会った感じなのだ。それは「好き嫌いが多く」て「給食が苦手」だから自分で料理をし始めた、という中山さんの言葉が印象に残っているからかもしれない。故郷熊本から神戸へ料理を学びに出て、神戸の有名店から縁あって渡仏。そのあと修業時代を卒業して社会人として働きたい、と雇用機会を得た和食のレストランから、デザイナー高田賢三さんのお抱え料理人、そして自分のお店を開いた今日まで、食べることがとにかく好き、という中山さんが食べて、作る日々は続いてきた。料理人が持つ食の記憶には毎度感心するけれど、中山さんの場合もしかり、あそこの、あの時に食べたあのものが、という話は尽きない。好きなものは繰り返し、しかも毎日でも食べたいというのは、美味しいものを「食べる」ことに貪欲な料理人の本能なのだろうか。ただ中山さんの場合には、本当に「美味しいなあ」と舌鼓を打つ喜びからすべてが始まっているのだと感じ、この喜びが彼と食の関係なのだと気づき、私もとても幸せな気持ちになる。 (海)

 

インタビュー全文:

ご出身は?
熊本です。大阪の調理学校にいた時にレストラン ジャンムーランというお店が神戸にあって、そこで働きながら学校へ行っていました。

そもそも、お料理はいつから?
小さい頃から飲食業には興味があって、お寿司やさんとかパン屋さんになりたい、という気持ちはありました。

ではなぜ食に興味を?
食べるのが好きだったのと、好き嫌いが多かった。だから自分で作るようになりました。

苦手なもの、嫌いなものというのは何でしたか?
子供の時はなすびも、パスタも食べたことがなかったです。食わず嫌いということですか。

でもパスタ、というとスパゲッティーとか子供は好きじゃないですか?
日本のナポリタンは苦手でした。ですからだんだん自分で作るようになって、逆に「これは美味しいな」と気づくようになりました。

それはいくつぐらいの時ですか?
小学生の頃です。

すると給食も苦手だった?
プロセスチーズは未だに食べられません。何故でしょう、結構いろいろなものが食べられなかったです。
親子丼に入っているかしわ(鶏肉)もダメ、苦手です。食べられなくて全部よけていました。ソース味の料理もあまり好きではなかったです、お好み焼きとかたこ焼きとか。

お母様はお料理が上手だった?
そうですね、なんでも作ります。手作りのこんにゃくから、畑があったので畑のものを料理する。

子供の時に一番好きだった食べ物は?
ハンバーグ、カレー、そういうものだったかと思います。

今でもそのお母様の味が忘れられない?
今でも美味しいですけれど、今はどちらかというとピーナツ豆腐とか牛乳豆腐とかそういった地味な食べ物が好きになってきました。

熊本は熊本市ですか、それとも?
菊池です。

すると料理を習う、となると熊本ではなく大阪とか東京だった?
どうでしょう、田舎は料理も遅れていますし、憧れもあったのかもしれないです。
それから僕は、高校を卒業するまでフランス料理を食べたことがなかったので、最初は、フォワグラなどは食べられませんでした。変な味がする、と思った。

でもフランス料理という気持ちはどこかにあった?
どうでしょう、その時に流行っていたのかもしれないです。うどんよりもフランス料理、それぐらいの感覚でした。安易な考えだったかもしれないですけれど。

生まれた年は?
1971年です。結構バブルな時代に育ちました。イタリアンというよりフレンチが当時の流行りでしたね。石鍋さん、三国さんがテレビに出ていたり。そういうのを自分は観ていたのだと。まあ想像ですけれど。

それで、シェフに憧れた?
たぶんそういうことだと思います。あまりそういう記憶がない。料理をしたい、という記憶はあるんですが。

神戸のジャンムーランに戻りますが、ここでは学校へ通いながらお仕事を?
そうです、住み込みでまず働いてから正式に入社できるかが判断されるということでした。当時はバブルだったので人はたくさんいたんですが、その中で10人ぐ らいが選ばれて入れる。とにかく人気店だったので、学校からの研修でなければ採用は無理かもしれないという時代で、ジャンムーランかアラン・シャペル、と いう当時神戸の二大レストランでした。一緒に学んだシェフたちの中には独立されてよい店を展開している方がたくさんいます。

ジャンムーランに就職された後、どうしてフランスへ?
ジャンムーランにはフランス語ができる、フランスでの研修経験がある人がほとんどでした。そのせいで、僕はまったくフランス語もできず海外経験もなかったのに、漠然とフランスへ行きたいと思っていました。行けるだろう、とは思ってもいませんでしたが。

ではその時点では、さんにとってのフランスは憧れ、というか料理を通じての国だったということですか?
はい。その当時は今みたいに簡単に働ける時代ではなかったので、コネもなければ情報もまったくない自分はヴィザも当然取れません。たまたま知り合ったフランス人からフランスの田舎で働ける店を紹介してもらったんです。

その田舎というのは?
ロワール地方でした。たまたまお菓子の講習会に来ていたMOF(フランス最高職人称号)を持つ人物と食事をしていて、「フランスに行きたい」という話をしたら親戚が店を持っている、という話をくれて、それから半年後に渡仏しました。

それは何年のことですか?
1994年です。本来は翌年に行くはずだったんですけれど、早めに来てくれと言われて行きました。翌年の95年、神戸地震 の後だったら行けなかったです。
でも結局地震があったので、神戸へ手伝いに戻ります。忙しい時に店を手伝い、街の復興作業にも参加して、95年の夏にもう一度フランスへと戻ってきました。

街の復興も手伝われたんですか?
ええ、土方とか、いろんなことをしました。

こちらに戻ってこられてからは、同じお店へ?
そうです。

そのお店での担当は?
店がAuberge(宿も経営)だったので、洗い場からすべて。そこはジビエが盛んな土地でしたので、お客さんが狩ったものを調理する、ということもありました。

お客さんがうさぎとかキジなんかを持ってくる?
とってから何週間か置いておいたものを、腐る直前のものまで。本当のジビエは食べられないな、と僕は思いました。

今で言う「熟成肉」?
いやあ、どうでしょうかね。かなり虫もわいていて、食べられないと思いました。

そのお店には何年いらしたんですか?
そこには、結局1年ぐらいしかいませんでした。そこからパリへ出てきます。当時は日本人が働ける店が少なくて、 フレンチですが、働いているのが全員日本人という店でした。みんなヴィザなしでしたけれど。

オーナーは?
フランス人でした。その店からも優秀な人物を輩出していました。当時は本当に情報がなかったので、働きながら「どこそこで働けば」というような情報交換をみんなでしていました。みんなで警察に連れて行かれたこともありました。

不法滞在で手入れが入ったということですか?
ええ。今じゃそんなことは考えられませんけれど。そんな中で僕はヴィザを取って正式に働きたい、と思い出しました。みんなは星付きのレストランの話などをしていましたが、僕は日本料理のレストランに入れてもらって、ヴィザをとってもらいました。

するとそこで和食へ移るんですね?
フランス人から「お前のスペシャリティは?」と聞かれたときに特にないことに気づきました。フランス料理しか作っていなかったのに、です。フランス人がよく 言う「おばあちゃんのレシピ」には敵わないな、と思っていた矢先でしたし、誰かの真似ではなくて、日本人の強いところを出していかなければよくないのか な、と思ったりしていました。

そのときに初めてご自身の中で和食と向き合うわけですよね?
そうです。地震の後に 大分の湯布院にある料亭で、コラボレーションというか神戸の店と一緒に料理をつくるイベントがありました。はじめはフランス側、日本側と仲が悪かったんで すけれど、やっているうちに仲良くなって、そういう場面を体験しながら料理には国境がないのかな、と思いはじめました。そんなこともあって、フランスで和 食をやってみるのもいいか、と思ったんです。

それまで、和食に移る前までのさんにとってのフランス料理とは何だったんでしょうか?
何 だろう、フランス人の真似をしていただけ?言われたとおりのレシピをつくる。だからレシピは集めていましたし、人によってはお金を払っても写させてほし い、というような時代でした。星付きの誰かのあのレシピを…という風に。そういうことが僕にとってはどうでもよくなってきていた。自分のオリジナルを 探すことと、紙をとって正社員として働くこと。修行でも研修でもなく、きちんと店の頭数に入る形で仕事をしたい、と。

どうでしたか、和食に移られたときは?
相当怒られました。

1996年ぐらいまでフランス料理を作っていらっしゃったにも関わらず、和食に入ったときには初心者に立ち返ってしまった、ということですか?
そうです。かつらむきなどもできませんし、下処理もまったくできない、出汁もひけない。

和食のレストランには何年いらしたんですか?
ヴィザをとってもらったので、5年はいなければなりませんでした。そこの常連に高田賢三さんがいらっしゃいました。ただ、店で働いていたときには話をしたこと は一度もありませんでした。ミッシェル・ブラスの店に行きたかった僕はあそこだけとはコンタクトをとっていました。5年働いた時に店からOKが出たので、 行ったところ、僕が行く少し前に日本人が怪我をしてしまい、日本人を使うことができないと言われてしまいます。僕は和食の店を辞めることになっていたの で、宙ぶらりんの状態に。そうしたら、高田賢三さんのお抱え料理人が病気になったので、少しだけ手伝ってくれないか?という話をもらい、仕事をしているう ちに「働かないか?」と言われました。

それは高田さんから直接?
和食の店のオーナーに話がありました。2001年のことです。ただ、お抱え料理人になる前は別のフレンチの店で働いたりもしていました。

高田さんのところではいろいろな料理を作られた?
そうですね、なんでも作らなければならない。前の日に賢三さんがフレンチに行くとすると翌日はフレンチを作らないとか、日本からお客さんがあると最初はフレンチですが後半戦は和食にしていかなければならないなど、お客さんによって変えていく必要がありました。

それはいちいち高田さんと相談されるんですか?
何となく自分で考えて提案をしていました。

三食作っていらしたんですか?
平日の朝食以外は。どら焼きを焼いたり、お粥を作ったりとか、いろいろやっていました。花もランジス(中央市場)に行って自分たちで仕入れていました。

食材もランジスで?
花だけがランジスで、残りは自分で市内の市場へ行っていました。

高田さんのお宅があったバスチーユにはとても大きないい市場がありますよね?
あそこで大抵は間に合ったんじゃないですか? いや、でもあちこちの市場を歩いて回っていました。バスチーユでは何を買って、イエナの市場ではあれを買って…という具合です。

高田さんのお宅では何年?
何年だったかな?僕の、自分の店を出すという方向に向かって働いていましたけれど、まあ口約束でしたし、何度か話もたち消えになったこともあります。

今のお店の話は高田さんと詰めていらしたんですか?
何となくです。

店を出したい、という話を高田さんにされていた?
できたらいいね、ぐらいの話です。例のリーマンショックで全部ゼロになり、もともと出資をしてくれると約束してくれていた人たちもダメで、この場所も一度仮 契約をしていたのが白紙に戻りましたし、結構ギリギリで動いていました。賢三さんのところを辞めるということも決まっていて、この店がなければ就職先もな くて…

でも紙、滞在許可証はお持ちでしたよね?
ええ、紙はありましたけれど、タイミングが重要で、時間が経てばお金も流れていくし…もしかするとこの店も持てなかったかもしれないです。

高田さんのところをお辞めになる前にすでにこの物件にと決めていらした?
ええ、いろいろ探し回りました。この物件はつきあいのあった花屋が教えてくれました。あそこはどうだろう、という具合で何件か見て、この物件に少しだけ賢三さんが興味を持たれた。結構場所を知っていらっしゃるので、もうひとつの候補には見向きもしませんでした。

このあたりはモンパルナスの近くなのに静かでいいですよね。
入ってびっくりしたのはこじんまりしているかと思ったら奥行きがあって結構広いことです。 お金がないので、自分でデッサンを描いて、壁の長さも測って寸法を出しました。ここは昔ピアノバーだったので、そのせいか壁がうねっている、まっすぐじゃ ないんです。だから大体で、叩いてみてどこまでが本当の壁か、なんて探りながらでしたが、まあまあ合ってはいました。

それで、無事にお店が開いたのは?
2009 年です。3人いる子供のうち一番上の子が、賢三さんのところで働き始めた頃に誕生しています。もうあんまり無茶をしてもいけませんしね。お金をもらえなく てもいい、ということはすでになしになっていた時代でした。子供も生まれて、やっぱりお金をもらわなければいけない、ということは考えました。いつまでも 三ツ星研修なんて夢ばかり食って生きてはいけない。潮時じゃないんですけれど、あとは自分の実力で勝負するしかない、と思いました。

その転機の時、日本に帰ろうとは思わなかったんですか?
帰りたいとは思わなかったんですが、もしかすると帰らなければならないかもしれない、と思ったりはしていました。昔のオーナーさんと神戸の物件を見に行ったりもしています。

神戸に店を開けようという気持ちも少しはあった?
いや、帰ってこいと言われていたので。フランスはいいから、少し手伝って自分でやれ、という風に。ただ僕としては、ここまできたらフランスでやるしかない、とは思っていました。ですからこちらでできるように頑張ってきました。

神戸でもしお店を開けていたら、どうなっていたでしょう?
どうでしょう、想像もつかないですね。こちらだと、僕にはやっぱりお客さんがいます。賢三さんの時からのお客さんなどが来てくれる可能性は高いと思いましたけれど、日本の場合にはどちらかといえば他所者が入ってきたという感じになったんじゃないかと。

でも、神戸ではジャンムーランで働いていらしたから。
やっぱり一度出た人間が帰る、と煙たがられます。

凱旋ということにはならないんですか?
未だに煙たがられている人はいると思います。僕の場合、この店だけで大変なのに日本へ進出というのは…結構大変だろうな、と思っています。来年はひとつ計画があって、今その話を詰めなければと思っているところです。

それは日本で?
そうです。その前にまず、今年の秋に日本で行なわれるテニスのイベント会場でRestaurant TOYOとして参加します。2度目の今年はもっとメンバーを固めて成功させたいと動いています。今はそのチームづくりと、うまくいったら来年はそのチーム のメンバーをパリに、というような考えもあります。またフランスのスキー場からも来て欲しい、と言われてもいます。こういういろいろな仕事を受けられるよ うにはなっていきたいです。今年はいいけれど、来年はわからない、というチームの構成はしたくないですから、何が可能かを、仕事をしながら互いに詰めてい く、意見が合わなければ無理なので…チャンスには前向きに考えていこうと思っています。

今、厨房には何人?
ワーキングホリデーの子を入れて3人です。次にも入る予定はあるので2人か3人でしょうか。

本日お昼をいただいてほお、と思ったことは、お昼のコースメニューでも私たち、客側に選択肢があることでした。おまかせは素敵だと思いますが、何が出てくる のかわからない謎を楽しむのと同時に何が出てきても楽しまなきゃいけない、というような義務感があるのかもしれない、と思っています。
そうですね、あの「おまかせ」というやり方はそれほど長くは続かないと僕も思っています。誰にでもその日の気分や体調がありますしね。いや、難しいです。お料理を出すのも速い遅い、と言われますし。

でも、夜はおまかせコースもあるんですよね?
いえ、お昼のコースに皿数が増えた形です。でも、たとえば焼き時間がきっちり決まっている肉料理などは、お二人から、ということはあります。

選ぶことができるんですね。
そうです。ただ常連さんの場合には、僕たちが変えていくので「適当にしましょうか?」という風になります。その人の癖を知っているからできるんです。

割合でいうと、常連さんはどのぐらいの比率になりますか?
かなり、です。普通の日は半分、それ以上かもしれません。もちろん時期にもよります。ただうちの場合はあまり通りがかりのお客さん、というのはいないかもしれません。

ほとんどが予約ですよね?
大体が予約です。

月曜日には和食メニューというのがあるじゃないですか、それも同じように選べる仕組みですか?
和食の時だけがあまり選べないのかなぁ。何度もいらしている方にはこちらで勝手に変えていきますし、初めての方には初めての、ということで料理をお出しします。あとは「食べたいものはありますか?」と聞いて、その希望に近いものを出すようにしています。

仕入れは今、どのようにされていますか?
魚と肉は注文しています。肉はデノワイエの店、魚はLe Dômeドームです。ドームの場合は近いので、気に入らなかったら返しにいける、という利点があります。
ドームのお魚はとてもいいですよね、ただとても高い。 最初は売ってくれませんでした。すごく気難しい親父で、今は仲良いですけれど最初は対応がひどかったです。まあ、みんなそうですけれど。野菜は自分で探してきます。

毎日?
そうです。注文すると使い切れないし、中には自分が使わないものも入っていたりするので、少し高くつきますが最終的にあまり変わらないと思って自分の足で探して仕入れています。

するとたとえば16区まで、とか?ご自身で?
はい。

車で?
いえ、バスとか電車で。帰りは荷物が多いのでタクシーを使います。

では、ランジス(中央市場)にはもう行っていない?
量が多すぎて使い切れない。300-400gでいいところを3-4kgも仕入れてしまったらもったいないです。

ワインは?
直接入れたり、仲介の人に頼んだりしていますが、まだルートが落ち着いてはいません。ソムリエが変わるといろいろ変わるということもあるんですが、これからはもう少し安定させていきたいと思っています。

お店のワインリストを拝見したら、意外に焼酎が少ないな、と思いました。熊本の方なのにあれ?って。
リストには出していませんが、結構ありますよ。でも焼酎は売れないです。サービスで、みんなで飲んだりはしています。実家に戻るととりあえず焼酎ばかりです。

ハンバーグと焼酎ですか?
いえ、とりあえず、焼酎。とにかく焼酎、ということになります。しかも芋です。

お酒はかなりいけるほうですか?
そうですね。

ワインはどうですか?
好きです。飲むほうですが。

ご自宅でも料理をされているんですか?
いやあ、店を始めてからはしなくなりました。それまではずっと、休みの日は友達を招いたりして料理をつくっていました。賢三さんのところで働いていた頃も、家に20人ほど招いて料理を作ったりしていました。お店を始めてからは休みの日は疲れ切っていて…

お休みの日、日曜日ですか?
そうです。月曜日のお昼は仕込みがあるので、完全なオフは日曜日だけです。商売がうまくいかないと休んでも休んだ気がしませんし。他の(日本人)シェフの店 にはアソシエがいたりしますが、うちの場合は賢三さんにお金を返しながら、銀行にお金を返しながらですから、ちょっとテロ事件などがあったら店はグラグ ラっとします。

ありましたか、今年のはじめ?
かなり厳しかったです。その反動、というわけではないですけれど、6月、7月は忙しかったのでそれはそれでよかったですが、耐久性がうちは弱いな、と。他の店はそのへんはもっと強いと思います。

アソシエやパトロンがいる、ということで自分の自由がなくなるということもあるのか、それとも気持ち的には安定するのか、どっちなんでしょう?
どうでしょう、難しいですね。僕もまだ結果がでていないので、良かった、と思えるように持っていきたいと思っています。

そうですね、さきほどこれからの計画などもお話しいただいたということは別の展望も見えてきた、ということですよね。
そうですよね。頑張ります。

ところでさんにとって、お料理とは何ですか?
何でしょうね、本当は息抜きなんですけれど、作るのが好きだったので。前は大抵のものは自分で作っていました。気分転換にもなるし。食べるのも作るのも両方好きです。

今でも食べるのはお好きですか?
好きです。ただ控えなければいけない年になってきました。

そんなことないじゃないですか。
いや、あんまり太りすぎて10kg痩せたんです。痛風の気があるのでこれはまずい!と。

どうやって痩せたんですか?
夜中に食べない、とか。夜中に酒飲んで食べるから太るんです。一番ほっとする時ですし。ケバブを食べたり、店で何か作ってみんなで食べたり。

何時ぐらいまでここに?
3時、4時ですか。

で、翌朝また早起きして仕入れに?
はい。でも最近は健全な生活を目指しています。

自分の中で好きなものの順位があるとすれば、料理は?
一番です。寝るか食べるか。旅行に行っても観光ゼロ、食べに行って終わり。食べ歩きって言うと格好いいですけれど、美味しそうな店があったらそこで食べて、美味しかったらそこへ何度でも通う。だから観光も何もないです。

ご家族と一緒でもですか?
そうです。

たとえばどこでそんなことをされたんですか?
イタリアとか、この前はモロッコのマラケシュ。

マラケシュで何を?
たとえば美味しいと言われているクスクスを。

何度も食べる?
じゃあ、旧市街メディナの観光もせずに。 横は通りました。レストランに行く途中で通っただけです。

クスクス、美味しかったですか?
いやあ、家庭で女性がつくったほうが美味しいかもしれない、と思いました。

イタリアでは?
海から上がったばかりの生きた魚を揚げたもの、美味しかったです。ただ、翌日その店に戻ったら、冷蔵庫に入れたのか新鮮さを失っていたんですね。僕も揚げ物をしますが、ああいうとりたての物には叶わないな、と思いました。

フランスでこれまでに一番感動した料理というのは何ですか?
ラスコー洞窟ってありますよね。あそこの近くで研修をしていた時に休みだから、とみんなで自転車を漕いで洞窟まで行って、近くの小屋みたいなところで当時フ ランでしたが50フランぐらいのセットメニューを食べた。その時のじゃがいも、トマトがすごく美味しくて忘れられません。じゃがいももトマトもそこで採っ てきて、水でさーっと洗うだけ。じゃがいもは適当に切って揚げるだけなんですが、美味しくて感動しました。これには叶わないな、と。まあ環境もあったと思 うし、お腹も空いていたのだとは思いますけれど。期待もしていなかったし。

すると凝っていないもののほうが美味しいということでしょうか?
ど うでしょう、仕込んで冷蔵庫に入れる、というような作業が少ないもののほうがいいんじゃないかな。僕は切ってそのままのものを結構使ったりします。形はも ちろん不揃いですけれど、そっちのほうが理想だと思います。 普通だったら綺麗に切って冷蔵庫へ入れておかなきゃならないんですが、うちはなるべくそういうことは控えたいと思っています。

ご自身の中で、作りながらフレンチと和食の区別はされていますか?
た とえばさきほど私の友人がいただいた子牛のカルパッチョの上にとろろ昆布がかかっていたりするじゃないですか。 あれは、パルメザンの代わりになると思って…旨味ということではほとんど変わらないから。パルメザンももちろん大好きですけれど、とろろ昆布のほうが 慣れると味わいがあると思います。

美味しかったです、新鮮な発見でした。
うちは肉にでも絶対魚の何かが入ってい ますし、魚のほうにもたとえば鶏のブイヨンを使うなど、両方が混ざっているのが特徴です。肉のソースにはアンチョビを入れたり、肉だから肉だけ、というの はなかなかないかもしれません。海藻を入れたり、イタリアの魚醤を使ってみたりなど…

自由な発想をされるのは、フレンチから和食へ行って、そのあと高田さんのところで作ってこられた料理が必ずしもフレンチにも和食にも当てはまるものではなかったから?
ど うでしょうね、賢三さんは「美味しい」という店には必ず連れていってくれましたし、和食でも京都のすごい料亭ではなく「美味しい」という評判の店にも連れ ていってくれました。ちょっとまずいリゾットを作ったら「あそこの店のを食べてくれば」とボソっと言われたりもしました。ブイヤベースにしても、ちゃんと 作らないと、まあ怒られはしませんが「あそこのを食べたほうがいいよ」と教えてくれた。

すると、パリから本場マルセイユまで?
と いうより、仕事の時はみな一緒に動くので、ある日はみんなで一緒に食べに行って、別の日は僕が料理をつくる、という具合でした。船でもそうです。コルシカ 島のまわりをまわった時も、港で僕が食材をみつけて作ったり、「あそこの料理美味しいから食べてみる?」と店に行ったり。勉強になりました。

貴重な体験だったんですね。
はい。大変でもありましたが。

大変でも豊かな経験ですよね。
はい、賢三さんには本当に感謝しています。

そろそろ終わりにしなきゃなりませんが、さきほどミッシェル・ブラスさんの名前が出ましたが、尊敬する料理人はいますか?
神戸、ジャンムーランのオーナーシェフ、美木剛という方。商売人として店をやっていかなければならない、と彼が教えてくれました。店を辞めた後、日本へ帰る度に会っています。他のスタッフともそうじゃないかと思います。とても尊敬されている方です。

一番下のお子さんが成人された後もフランスにいると思いますか?
考 えたこともないですね。帰れるならば帰っていたのかもしれないし…こちらに残って、ああうちの店も長く開けていられてよかった、と思っているかもしれ ないし…まずは今年を乗り越えて、来年は来年ということですかね。いやあ本当に、あまり何も考えていないかもしれないです。ただ、今はまず、地下の水 漏れから直していかなきゃなりません(笑)。


Restaurant TOYO

Adresse : 17 rue Jules Chaplain 75006 Paris ,
URL : www.restaurant-toyo.com
お昼のセットメニューは39€から、 夜のセットメニューは95€から。

 

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