フランス人にとってのパンは、日本人にとってのゴハンに似ている。いつもそこにあるもの。ないといけないもの。だから、これがなくなると困る。米一揆があったように、フランスの民衆は、パンがないからと市民革命を起こした。
パン職人は11世紀からいたというのだから、パンを買って食べるという習慣はフランス人のDNAにしっかりと刻まれている。夏の間も、何軒かある近所のパン屋はそれぞれ時期をずらしてバカンスをとるから、いつだって新鮮なパンを手に入れることができる。世界で初めてのパン職人養成学校が開校したのもフランス。ルイ16世治世下の18世紀のことだった。ここで学んだ職人の腕はヨーロッパでも評判になり、各国で引く手あまたになったという。
19世紀になると、オーストリアのパン職人がパリにやってきて、砂糖やミルクを加えたふかふかしたパンを作って評判になった。パン屋で菓子パンやタルトなどが売られるようになったのもこの頃だ。
1931年、パリで暮らした作家の林芙美子(1903-1951)は、『下駄で歩いた巴里』の中にこんなことを書いた。「パンがうまくて安い。こっちのパンは薪ざっぽうみたいに長くて、これを嚙(かじ)りながら歩けます。これは至極楽しい。巴里の街は、物を食べながら歩けるのです」。
その後、20世紀半ばには「うまくて安い」パンは物価上昇のあおりをうけて、バゲット1本が9フランに。労働者の日給の10分の1にあたる金額になってしまった。
「至極楽しい」買い食いは、今でもパリの街角で享受できる。今の世の中、東京でもニューヨークでも、探せばフランス風のおいしいバゲットやクロワッサンが見つかるけれど、街角のあちこちで気軽にパンが買えるのはパリならではだ。いたるところにパン屋があって、その前を通ると、パンを発酵させている匂いやパンの焼ける香ばしい香りが鼻をくすぐり、思わず立ち止まってしまう。
焼き立てのバゲットを裸のままかかえて、家に着くまでの間に先っちょをかじるその姿は、古くから変わらないフランスの風物詩だ。(さ)