誌、演劇、小説などあらゆる分野で傑作を残したユゴーは、フランスを代表する文化人。普遍的なその作品は、時代を超えて世界中の読者に愛されている。でも、ルイ・アラゴンが後年にふれているように、権威ある教授陣などからは、ユゴーのスタイルは「繊細さにかけていて、悪趣味だ」などと揶揄(やゆ)されることもあった。もっとも、アラゴンは「その悪趣味こそを私は愛す」としているのだが。
そんな愛すべき「悪趣味」は、その食生活にも表れている。ユゴーが可愛がっていた孫の証言によると、家族と食卓をかこむ際、ユゴーは卵、肉、野菜、ソース、揚げ物を全部一緒に混ぜてパテ状にしてしまい、そこに塩をかけて食べていたという。子供たちもそれを喜んで真似していたそうだ。
また、頑丈な歯にめぐまれたユゴーは、オマール海老はバリバリと殻まで、オレンジは分厚くて苦みのある皮までをすべて平らげ、「殻がオマール海老の消化を助けてくれる。殻なしだと、もたれる」と大真面目で友人に語った。
『レ・ミゼラブル』(1862年)の主人公は、飢えた家族のためにパンを盗み罪人になった男。全編に渡って当時の一般庶民の苦しい生活が語られているけれど、ユゴーがとりあげるのは単純な飢餓だけではない。「人はパンによってよりもなお多く肯定によって生きている」「心もまた飢える」などと、何よりも愛の大切さを謳った。(引用は豊島与志雄訳)
そんなメッセージは一般大衆にしっかり届き、作品は熱狂的に迎えられた。お高くとまった一部のインテリから悪趣味と言われることなど、民衆の心の飢えをいやす大事業に比べたら何でもないことだったに違いない。
そんなユゴーの食欲は晩年まで衰えなかった。自宅の夕食には決まって多くの会食者を招き、美女に愛想をふりまきながら、カレイや伊勢海老、牛の焼肉、フォアグラのパイなどのごちそうを自らもしっかり食べた。
パンテオンで永眠するユゴーに聞いてみたいことがある。「あなた自身の心の飢えは、いえたのでしょうか?」(さ)