人や車が行き交う交差点。雑多な町並みは見慣れた先進国の風景だが、よく見ると女性はスカーフを被っている。ここはイランの首都テヘラン。ほどなく観客はタクシー内の実況中継に立ち会うことになる。ハンドルを握るのはジャファル・パナヒ監督本人。お客さんは老若男女、様々な顔ぶれだ。闇DVDの販売を始めたり、血だらけの老人や金魚鉢と乗り込んできたり…。
パナヒ・タクシーは愛すべき迷惑人間を実によく吸い寄せる。しかも商売は上がったりの様子だ。現在監督は反政府活動を支持したかどで、政府から映画制作と出国禁止の刑を受けている。だから目立たぬ車中撮影は、必要が産み出した苦肉の策でもあるだろう。車内にカメラ3台を取り付け、カメラマンも照明さんも音声さんもなしで、たった一人で映画を作ってみせた。
人の良さそうな笑みを浮かべ、言いたい放題の客に耳を傾けるパナヒ。狭くむさ苦しいタクシーの中こそ、検閲なしで発言ができる自由の聖域となる。女性の権利や教育のあり方、表現の自由に至るまで、時に硬質なテーマも飛び交い、イラン社会の現実まで透けて見える。本人役の素人が多数出演するドキュ・フィクションだが、ドキュメンタリーを超えた真実がある。先のベルリン映画祭では金熊賞を受賞し、出国できぬ監督に代わって、本作に出演した姪っ子がトロフィーを受け取った。審査委員長のダーレン・アロノフスキーは、「芸術や共同体への愛が詰まった作品」と賛辞を送った。(瑞)
1960年生まれのイラン人監督。長編作品全てが一流映画祭で受賞。代表作に 『白い風船』『チャドルと生きる』『これは映画ではない』。当局監視下でも不屈の精神で制作を続ける。