旧市街の隅々で石たちの語るルマン。
旧市街を形成する小高い丘の上に、ルマン人の祖先が7千年前に立てたメンヒルがある。高さ4mほどの巨大ムール貝のようなこの石は、今は大聖堂に寄り添うようにたたずんでいる。先史時代の石と11世紀から約500年かけて建てられた大聖堂。時代も表情も異なる石たちが、旧市街にひしめいている。
『ガリア戦記』に登場するルマンはヴィンディヌムと呼ばれ、アウレルキ・ケノマニという部族が住んでいた(この「ケノマニ」が変化して「ルマン」になった)。紀元前56年、ヴィンディヌムはローマ帝国に征服されるが、その後数百年間の栄華を、ここでも石が語っている。サルト河岸にそびえる赤褐色の城壁は3世紀のもの。赤地に白い石で三角形や波模様が施され、古代ローマ人の装飾センスを見せつけているかのようだ。
ルマンの旧市街は「シテ・プランタジュネ」と呼ばれる。今、市庁舎がある場所には、12世紀、アンジュー伯ジョフロワ4世の宮殿があった。そこで生まれたアンリは大聖堂で洗礼を受け、後にアンリ2世として英国王に即位し、プランタジネット朝が始まったことに由来する。
16世紀、ルマンにルネサンス文化の華が咲き「プレイヤード派」と呼ばれる詩人たちが集った。その中心人物で『恋愛詩集』などで有名なピエール・ド・ロンサールは若い時にルマンで剃髪(ていはつ)している。仲間のデュベレーらとともに、フランス語をラテン語に代わる文学的言語に高めようという宣言『フランス語の擁護と発揚』を出版し、フランス語詩の発展を押し進めた。自らもリュートを奏でたというロンサールの詩に、当時から多くの音楽家がメロディーをつけ人気を博した。15、16世紀の面影をそっくり残すこの町を歩いていると、そんな音楽を聞きたくなる。と、実際に弦楽器で奏でるバロックの調べが聞こえた。見れば「Histoire de Mandolines」と書かれた戸口。吸い込まれるように入る。ルノーで働きながら、町のマンドリン合奏団を指揮し、たて琴からマンドリンまでを集めて展示するゼリケールさんの小さな博物館。聞こえて来たマンドリン演奏は彼のCDだった。
喜劇作家ポール・スカロンがルマンに来たのは1633年。ここで8年を過ごす間にリウマチ性関節炎で半身不随となる。ルマンが舞台の『滑稽旅役者物語』を書き、フランソワーズ・ドーヴィニエと結婚するのはパリに戻ってからだ。スカロンの死後、フランソワーズはルイ14世の妻、マントノン公爵夫人となる。モリエールにも影響を与えたというスカロン。彼が暮らした大聖堂脇の家からすぐのルマン随一の劇場に、その名が残されている。(実)