『レ・ミゼラブル』(1862年)に最も頻繁に登場する食べ物は何をおいてもパンだけれど、それにセットのように添えられているのがチーズ。刑務所を出てお腹をすかせたジャン・ヴァルジャンが宿屋で注文するのも、心無い夫婦から小間使いのように扱われるあわれな少女コゼットが垣根の陰で食べるのも、ジャンとコゼットの隠れ家になる修道院で出てくるのも、お決まりのように「パンとチーズ」。
フランスのチーズというと日本ではちょっとした高級品のイメージがあるけれど、フランス人にとっては毎回のように食卓にのぼるごく身近な存在。貧乏学生が通う大学の学食にだって、プラスチックの入れ物にカマンベールチーズがのって陳列台に並べられている。先史時代からの歴史を持つチーズが、農民や職人、貧しい人たちの重要な食料の一つになったのは中世のこと。ただ、当時の富裕層にとってはチーズとはタルトにいれる材料の一つくらいにしか数えられておらず、現在私たちが楽しむようなチーズの盛り合わせは19世紀の産物だそう。
ユゴーは「ポンタルリエのチーズ製造所の話」という一節に、フランシュ・コンテ地方でのチーズ作りの様子を事細かに残している。「大納屋というのは金持ちに属するもので、四、五十頭の牝牛(めうし)があり、一夏ごとに六、七千斤のチーズができます。また組合製造所という方は貧しい人たちに属するもので、彼らは山地の百姓でして、共同に牝牛を飼って、その産物を分配するのです。」(豊島与志雄訳)
物語の舞台は19世紀の前半。フランス革命は平等な社会への道しるべになったとはいえ、身近な食料であるチーズの作られる現場には、身分差がはっきりと残っていたようだ。(さ)