マルセル・デュシャン (1887-1968)は1913年、ニューヨークの国際現代美術展「アーモリーショー」でアメリカ人に衝撃を与えた「階段を降りる裸体No.2 Nu descendant un escalier No.2」、その後、男性小便器に署名しただけで作品とした「泉La fontaine」で、アメリカ美術界で前衛アーティストとして一躍有名になった。それまでの美術と「美」についての考えを根本から問うたデュシャンは、現代美術はデュシャンから始まったと言われるほど、100年後の今日まで影響を与え続けている。現代美術を理解しようとすれば、元祖デュシャンに行きつく。ところが、本人は1920年代以降ほとんど芸術活動をしていない。彼の内部で何が起きたのか。その答えがこの展覧会でわかる。
デュシャンはノルマンディーの公証人の家に生まれた。年の離れた長兄2人は美術家で、その影響を受けて、20歳前後の時は風刺画を描いていたが、油彩も始めた。フォーヴィスム、キュビスムなど当時の前衛を取り入れた作品が多数展示されているが、私立の画塾に一年間通っただけとは信じられないほどの腕前だ。サロン・ドートンヌからは正会員になったという通知が来たが、それ以降、このサロンには出展していない。このエピソードには、既成の権威に背を向けるデュシャンの傾向が表れていて面白い。
キュビスムの影響下の「いとしい人Dulcinée」には、男性3人と女性2人が描かれている。これは2人の男女の動きともとれる。人物の動きを表した「階段を降りる裸体」の前兆を思わせる、螺鈿(らでん)のような光がある美しい作品だ。
1912年に、無鑑査で出品できるアンデパンダン展に出した「階段を降りる裸体No.2」が、前日に主催者側から出展を拒否されたことがトラウマとなった。「裸体は階段を降りないから」というのが理由だった。絵の道に進もうとしていたデュシャンが次第に描かなくなり、最後には絵画自体を否定するに至った決定的な出来事だ。
奇をてらったアーティストと見られがちだが、実はこうした傷を基に自分なりの方向に進んだことがわかる。デュシャン像を一変させる、見甲斐のある展覧会である。(羽)
ポンピドゥー・センター:1月15日迄(火休)。
画像:Dulcinée 1911, huile sur toile, 146.40 x 114 cm
© 2014 Photo The Philadelphia Museum of Art / ArtResource / Scala, Florence
© succession Marcel Duchamp / ADAGP, Paris 2014