多くの温泉はローマ時代から利用されていたが、その後すたれ、19世紀に再び脚光を浴びた。王侯貴族、大ブルジョワなどの有産階級の治療のためだった。温泉町の豪華な建物は、上流階級の人々のぜいたくな好みに合うよう、せいいっぱい背伸びをして建てられたものだ。趣向を凝らしたさまざまなネオ○○○様式の外観を見ていると、テーマパークにいるかのよう。フランスで温泉巡りをする楽しみの一つは、建築を見ることだ。ほとんどが、もともと長期滞在者向けの貸家やホテルだった。
温泉の流行を作ったのはナポレオン3世夫妻である。リューマチを患っていた3世はあちこちに湯治にでかけた。鉄道の発達が流行に拍車をかけ、山奥の町まで湯治客で賑わった。
Royat Chamalières
ロワイヤ=シャマリエールは、クレルモンフェランからバスで15分程度の郊外だが、そこだけ19世紀のような、不思議な雰囲気を漂わせている。
湯治場がロワイヤとシャマリエールという2つの自治体にまたがっているため、この2つを組み合わせた名前になった。リューマチ、動脈炎、ぜん息に効果がある。ケルト人の時代から利用されていた古い温泉である。その後すたれて農村になっていたロワイヤを今の華やかな町にしたのは、ナポレオン3世で、1856年、自ら湯治場の開館式を行った。1862年には妃のウージェニーが滞在した。ガラス張りの美しいBuvette(鉱泉飲み場)にウージェニー妃の名前が付いているのはそのためだ。丘の斜面にはカジノ、劇場が並んでおり、その後ろがホテル街になっているが、ほとんどは1860年から1910年の建物だ。今はアパルトマンに改装された高級ホテルもある。
湯治場は湯治客しか入れないが、ガイトツアーの時に一般も入れる。一般客は、観光協会のすぐそばにある35C°の温泉水を引いた巨大プールRoyatonicでジャクジーやシャワーが楽しめる。
Pavillon Saint Martパヴィヨン・サンマールはもともとひざの治療の場で、昔この建物で使っていた道具を展示する博物館になっている。ここもガイドツアーのときに入館できる。
Le Mont Dore
中央山塊地方の中で最高峰、標高1886mのピュイ・ド・サンシーPuy de Sancyのふもとにあるル・モンドールは、人口2千人の町。湯治場の建物の壮麗さと独創性で、中央山塊地帯の温泉地の中でも群を抜いている。町の真ん中を流れるのはピュイ・ド・サンシーに水源があるドルドーニュ川だ。ここからガロンヌ川と合流して大西洋に注ぐ。
38〜44C°の温泉は、すでに紀元1世紀にローマ人に発見されていた。その後打ち捨てられていた温泉が復活したのは18世紀のこと。地元民や旅人に提供されていたが、革命で工事は中断された。その後1810年に再開され、1817年に、パリ生まれでオーヴェルニュ地方で活躍した建築家、シャルル・ルドリュCharles Ledruが完成させた。
黒灰色の火山岩を使ったネオクラシックのいかめしい外観だが、中は打って変って豪華なオリエント調。黒、灰色、レンガ色、黄色、青で、千一夜物語の世界が繰り広げられる。ローマ風呂のようでもあり、ハマムのようでもある。しかしキッチュにならず、どこか落ち着いた感じがするのは、内装にも地元の黒い石が使われているからだろう。湯は肺病、アレルギーに効果がある。
湯治客には散歩が大切なので、町中が公園のようになっており、あちこちに音楽を演奏する小さなキオスクや水飲み場が設けられている。地元の人も湯治客も一緒に、昼間からカラオケ大会を楽しむこともある。
ル・モンドールのもう一つの特長は現存するフランス最古(1898年開通)のケーブルカーがあること。医者から高い山のきれいな空気を勧められた上流社会の湯治客たちは、町の中心から出るこのケーブルカーで山の高みにたどり着き、散歩を楽しんだ。山の上は、今はハイキングコース。
ル・モンドールには19世紀風の衣装で、架空の人物に扮して町を案内するガイドさんがいる。その一人、アニエスさんは、夫とはぐれた19世紀のブルジョワ女性を想定して、ロングドレスを着て彼女に扮し、彼女が生きていたであろう当時の様子を解説しながら、ユーモアたっぷりにケーブルカーにも乗り、湯治場の中も案内してくれる。
町中の建物も素晴らしい。、住宅となった元ホテルなど、ベルエポック時代の立派な建築物が多い。
La Bourboule
ドルドーニュ川沿いにあるル・モンドールの隣町がラ・ブルブール。同じく人口2千人で、荘重なル・モンドールに比べ、こじんまりしていて可愛らしい。ル・モンドールは雰囲気が重すぎる、という人はラ・ブルブールのほうが気に入るだろう。1875年に町ができた。
湯治場は1876年に建立された。丸いドームの寺院のような建物だが、内装は非常にシンプル。湯には消炎効果があり、痛風、アレルギー、耳鼻咽喉科の疾患に効く。抗がん治療後の静養にもよい。
市役所と観光協会が入っている建物は元カジノ。歓楽の場カジノにふさわしく、豊満な肢体を惜しげもなくさらした4人の女性のカリアティードが正面入り口で迎えてくれる。2階にはカジノ時代からの劇場がある。2階に上る階段の手すりは朱色で、ホールの天井はアールデコ。
ラ・ブルブールに来たのは、ルーマニアやギリシャの王妃、南米の大金持ち、外交官など、やはり上流社会の人たち。彼らの子供のために、子供専用のカジノも開設された(現在改装中)。金銭を賭けずに安心して遊べる施設だった。
Bourbon-L’Archambaut
ブルボン・ラルシャンボーは、言わずと知れたフランス王家の一つ、ブルボン家発祥の地。10世紀から18世紀まで建築が続けられ、今は廃墟となった中世の城を頂く城下町である。
この地の温泉の存在は先史時代から知られていた。ケルトのわき水の神BorvoがBourbonの語源だ。シーザーに征服されてから、ローマ帝国最大の浴場が造られたという。17世紀になると、ルイ13世の弟のオルレアン公が浴場を改築し、ブルボンに湯治に行くのが上流社会で流行した。17世紀に王が滞在した館が湯治場近くに残っている。
現在の湯治場は1885年の建物。トルコで技術を学んだ陶芸家がタイルを使って装飾した内装はオリエント趣味。水辺のサギの絵や風景画には日本画の影響が見られる。青いタイルが多いので、壮麗だが明るい。湯はアレルギー、リューマチ、婦人科の疾患に効く。
Néris-les-Bains
2400年前から温泉があったネリス・レ・バンにはローマ時代の浴場跡が残っている。円形と長方形の露天浴場が市営プールのすぐそばに並んでいる。古代の浴場は使えないが、市営プールには温泉の湯を引いているので、冬でも暖かい。
ネリスの湯は53C°。毎時60m3と豊かな水量を誇っている。湯はストレスを抑えるリチウムを含んでおり、リューマチ、心因性の病気、パーキンソン病など神経系の病気に効く。ネリスでは、「リューマチ+心因性の病気」というように2つの異なる系統の病気を同時に治療することができる。人口2800人の町に、3月から11月初めまで湯治客7000人がやってくる。湯治場は1853年に完成した。治療に使っていた向かい側の建物がリゾート客専用施設に改装され、2013年秋に工事が終わる。
中心街には、お菓子のような建物が並ぶ。そのうちの何軒かは今もホテルとして使われている。劇場と、1898年に完成したカジノもある。ネリスには高い建物がなく、町全体が広々とした公園のようだ。小さいながらローマ時代の野外劇場跡もある。夏にはアイスクリーム屋が軒を並べ、南仏のようなくつろいだ雰囲気が漂う。
ル・モンドールにある フランス最古のケーブルカー。
ル・モンドールの湯治場は 豪華なオリエンタル調。
ル・モンドールの湯治場の中の 鉱泉飲み場。
ラ・ブルブールにある 子供用のカジノ。現在改装中だ。
ブルボン・ラルシャンボーの 古城とその下に広がる城下町。
ブルボン・ラルシャンボーの湯治場もオリエント風の内装が美しい。
ネリス・レ・バンにある ローマ時代の浴場跡。