ブリュッセルのルイーズ広場の朝、雨がしょぼしょぼ降っている。トラムウェイの停留所前に、愛の深い傷を、とことん飲んで忘れようとしたのか、ひょろひょろと足下が定まらない長身のやせ男。目はうつろ、顔に生気がない。その映像に歌がかぶる。「Formidable, formidable… 君は素敵だった、僕はまったくなさけなかった。僕たちは素敵だったのに。(…)お嬢さん、僕みたいに酔っぱらった男にかかわってる暇はないよね。きのうの僕に出会ってればよかったのに」。このやせ男はストロマエ(マエストロの逆さ言葉)。その哀れな姿を見るに見かねて傘を差し出す女、警官も立ち止まる。「僕は君のファンなんだ。大丈夫かい? 家に連れて行ってやろうか」。ふつうの人間のどこにでもある心の劇を、ドキュメンタリータッチで突き放すように撮ったこのプロモーションビデオに、夏の間、話題が集中。その歌も大ヒットとなった。そういえば、メロディも歌詞の雰囲気もジャック・ブレルの名作『Jef』を思わせる。
「このビデオを撮った時、本当にひとりぼっちの気分だった。僕の人生の中でも、一番孤独な時だったといってもいい。(…)ビデオを撮ろうと思ったとたん、あることを思い出したんだ。ある日、ブリュッセルの通りを歩いていたら、ホームレスに呼び止められた。『あんたは自分をいい男と思っているんだろ』。この歌に歌われていることは、ほとんど彼の言葉なんだ」。新しいブレルの誕生だ。
ストロマエことポール・ヴァン・ハーヴァーは、1985年ブリュッセルに生まれる。母はベルギー人、父はルワンダ出身の建築家だったが、ストロマエが3歳の時に家族を置いて母国に戻り、1994年、ルワンダでのジェノサイドで犠牲者となる。やはり現在ヒット中の『Papaoutai(パパどこにいるの)』は、その辛い少年期の思い出を、アップテンポのダンス曲にして、明るくそらしている。
11歳からドラムスを勉強。18歳のときにラップグループに参加。次いでソロ活動に力を入れ、注目されるようになる。2009年にはファーストアルバム『Cheese』。その中の『Alors on danse』はフランスでもヒットし、数々の賞を受ける。そしてこの9月、『Formidable』や『Papaoutai』が入った新アルバム『Racine carré』が発売された。(真)