非常に重要でラジカルな邦画2本が公開された。
諏訪敦彦『2/Duo』は1997年の作品だがフランス初公開。ブティック店員 YU(柳愛里) と売れない俳優KEI(西島秀俊)の若いカップル、KEI が YU に「結婚しようか?」と言ったことで崩れる二人の関係。とまあ、あらすじを書けばそういうことなのだが、すじは枠に過ぎず、この映画で私たちが観るのは YUとKEI の実在、と言ってしまおう。予め用意された設定(セリフやカメラポジション)通りに映画が進行しているわけではなく、即興で投げられたセリフや態度を相手がどう受け止め反応するかによってこの映画は形成されていく。もし観客のあなたが戸惑うとしたら、それはあなたが映画の常とう的な作りに飼い慣らされているからだ。映画はフィクションとして形よく納まる以外のところで、新たなエモーションを生み出せるのではないか? 映画表現革新への挑戦。その成果を本作で実感して欲しい。
富田克也『Saudade サウダーヂ』(2011)からはドシンと一撃を食らった。日本人の私が日本から受けたカルチャーショックといってもいい。私が知らなかった日本の現実。この映画で描かれる山梨県甲府市の今は、日本の、いや世界の経済先進国の地方都市に共通する現状なのではないか。空洞化、シャッター通り、格差社会、といった言葉の実際を目の当たりにする。バブル全盛期に移民労働者としてやって来たブラジル人、水商売で稼いだ金を国に仕送りするタイ人、そして日本人は…。土方で日銭を稼いでラップを歌う 日本人青年、TAKERU の軌跡は衝撃であり象徴だ。富田監督もまた先行するイメージに映画をはめ込むのではなく、自分の見聞や体験を丸ごと映画に投げ込み観客に投げ返す。
既成のぬるま湯の中でのお仕着せの感動はもういらない。日本のインディーズ映画界の胎動を聞こう。(吉)
『2/Duo』