ジョルジュ・サンドの食卓から 8

 理想主義者と言われたサンドの代表作のひとつである『魔の沼』(1846年)。冒頭では死神にとりつかれた農民をテーマにしたホルバインの版画にふれられているが、本編ではフランス中部の牧歌的な農村が再現されている。光に満ちた美しい詩のようにつづられている素朴な人々の毎日の暮らしは、都会の読者たちに憧れを抱かせたという。もちろん、この地をよく知るサンドのこと。その自然賛歌の中にはある種の暗さも漂う。例えば、題名にもなっている「魔の沼」とは、昔から悪霊に取りつかれているといわれる場所。わが子がこの沼に落ちたと思った主人公が必死で子供の名前を呼ぶ場面があるが、聞こえてくるのは「雑木林の中に散らばっている乳牛の鈴の音と、どんぐりを争う豚の荒々しい鳴き声だけ」(持田明子訳)。静寂な森から響いてくるこんな音は、物悲しくて不気味だ。同時に、喧騒(けんそう)に満ちた都会の住民にとっては、どこか情緒を感じさせるものでもあろう。
 偉大な民俗学者としての側面もあったサンドは、この地方の風習についての文章も発表している。その中には『魔の沼』の主人公であるジェルマンとマリのカップルがふたたび生き生きとよみがえり、読者を、3日間続く農村の婚礼に立ち合っているかのような気分にさせてくれる。結婚の多幸を象徴するといわれるキャベツの儀式などは、なんとまあ楽しそうなこと。村の長老たちが菜園の中から最も立派なキャベツを選ぶくだりなども詳しく書かれており、きっとサンド自身もその儀式に思わずくぎ付けになってしまったのではないかと思わせる。また、この一連の文章の中でも「リンゴが一つ、枝から離れて、湿った土の上に鈍い音をたてて落ちる」などといった、音に関する細やかな描写がいくつかちりばめられており、読者はまた憧れのため息をつくことになる。(さ)