ミシア、パリの女王。

 1900年前後から1920年代まで、芸術家のメセナ、友人としてパリの芸術界に君臨したロシア生まれのポーランド人、ミシア(1872-1950)を中心に、彼女と親交があった芸術家の作品を、音楽、美術、文学と幅広く紹介する展覧会だ。彫刻家の娘で、フォーレからピアノを学ぶほど芸術的環境に恵まれていたとはいえ、ミシア自身は芸術家の道を選ばなかった。雑誌「ラ・ルヴュ・ブランシュ」の主宰者、タデ・ナタンソンと結婚したときから、この雑誌に寄稿する芸術家との交流が始まった。若きプルーストが書くことを夢見たという、前衛芸術家や思想家が集まる雑誌だった。そのグループにいたロートレック、ボナール、ヴュイヤールらがミシアの肖像を残している。ロートレックは粋に装ったミシアをモデルに、雑誌のポスターを描いた。しっかりした骨格の顔の中にちんまりと目鼻が収まっているミシアの雰囲気を良くとらえているのは、フェリックス・ヴァロトンが描いた肖像画だ。
 その後、ナタンソンと別れて、実業家アルフレッド・エドワーズと再婚。閉ざされたエリートサークルの女王から社交界の女王へと変貌した。しかし、夫の浮気から離婚。ほどなくして知り合ったカタロニア人画家のホセ=マリア・セールと3度目の結婚をする。セールは多くの注文をこなす、当時売れっ子の画家で、前衛芸術家の人脈も豊富に持っていた。自身の魅力と芸術的な鑑識眼に金脈、人脈を加え、ミシアは名実ともにパリの芸術・社交界の女王になった。セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュス(ロシアバレエ)の公演のメセナになったのも彼女だ。展覧会場には、ピカソがデザインした「パラード」の衣装、再演ビデオが展示されている。
 そのセールとも、夫の浮気が原因で離婚。華やかな暮らしを続けながらも、晩年はモルヒネ中毒になるなど、波乱万丈の生涯だった。 
 飛びぬけて印象に残る作品はないが、歴史的背景を知り、当時の雰囲気を味わうことで面白さが倍増する展覧会である。プチパレ美術館で開催中のホセ=マリア・セール展(8月5日迄)には、セールの側から見た資料がある。両方見ると、ミシアの人生がより深く理解できる。(羽)
オルセー美術館:9月9日迄。月休。
写真:Félix Vallotton (1865-1925) “Misia à sa coiffeuse”, 1898
Détrempe sur carton, 36 x 29 cm   Paris, musée d’Orsay
© RMN ((Musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski

Misia Reine de Paris



 

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