ジョルジュ・サンドの食卓から 4

 サンドは、1848年の2月革命の立役者であった政治家ルイ・ブランや思想家ピエール・ルルーと深い親交を結んでいた。社会主義小説と呼ばれる『アンジボーの粉挽き』(1845年)に出てくるのは、身分の違う二組のカップル。彼らが互いに助け合い困難を乗り越えていく過程を追いながら、この時代に色濃く残る社会制度のおかしさを明らかにしていく。サンドの父親は貴族の血をひいた将校、母親はジプシーのお針子。愛で結ばれたふたりだったが、父方の家族はこの結婚に激しく反対したという経緯もあった。
 小説の舞台は、サンド自身が暮したベリー地方(現サントル地方)の美しい農村アンジボー。読者は、パリからこの地を訪ねていく貴族の親子と一緒に、サンドの筆によってこの地方の豊かな景色を、人々を、そして食文化を発見することになる。その案内人は、この村で評判の働き者の粉挽き職人グラン・ルイ。パリからやってきた親子を歓待するために、彼の母親が用意したのは…。「水で練った小麦の生地をミルクで煮たフロマンテ(国自慢)、ペッパーをきかせたフレッシュなクリームをそえた洋ナシのタルト、ヴォーヴル川のマス、グリルでぱちぱち音をたてている、脂身が少なく柔らかい鶏、熱々のクルミのオイルをかけたサラダ菜、山羊のチーズ、少し青みの残るフルーツ」。こんな、田舎ならではのご馳走に、パリの子供はすっかり心を奪われる。
 サンド自身は、この地の名産である山羊のチーズは好まなかったといわれているけれど、このおかゆのようなポタージュ「フロマンテ」はよく食卓にのぼった。例えば、ある日の夕食のメニューは、前菜にスープ、メインに魚のフライとポテトのパイ、フロマンテにコーヒー。この小麦がゆ、日本人が食事の最後に食べるご飯のようなものだったのかも?(さ)

 

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