ゾラの『居酒屋』の中で、唯一、いつものらりくらりと甘〜い人生を送っているのが、帽子屋のランチエだ。とびっきり怠け者だけれど、自分の体型の管理にはやたらと気をつかい、「家に一文もないときでさえ、彼には卵や骨つき肉や、栄養のある軽い食い物が必要だった。」(古賀照一訳)
ランチエは、女主人公のジェルヴェーズとの間に子供をつくるも、ある日突然いなくなる。そして、またふらりと戻ってくると、関係をうまい具合に復活させてしまう。しばらくしてジェルヴェーズの羽振りが悪くなると、また別の女に寄生虫のようににじりよっていく。そして、その女には菓子屋をオープンするようにすすめる如才のなさ。食事に気をつかっている割に、この男はやたらと甘い物が好きなのだ。
このひょうひょうとした男と対照的なのは、まっとうな生活を徐々にあきらめていくジェルヴェーズの姿だ。腕の良い真面目な洗濯女として近所から尊敬され、美食の喜びをかみしめていたこともある彼女だが、最後はおなかをすかしてひとりぼっちで死んでいく。「貧乏人の餓死(……)、これほど光り輝く金色のパリにそれがあるとは!」
ゾラは、怒っている。この小説が新聞に連載された当時は、「これこそ真の社会主義小説!」という声が聞かれる一方、「労働者階級をさげすんでいる」と非難もされた。そういった反応に対して、ゾラはこの本の序文に書いている。「私は仕事をする。わたしは時間と世間の誠意に身をゆだねる。」
この作品を執筆してから3年後。ゾラは、ジェルヴェーズとランチエの娘を主人公とした『ナナ』を発表した。「十五歳でもう子牛のように発育し、色白で脂肪がつき、まるで球のように太っていた」ナナは、高級娼婦となり、パリの社交界を征服していく。(さ)