ゾラの食べ物小説『パリの胃袋』の隠れたテーマは、理想主義で貧乏の痩せっぽちと、良い生活をしている太っちょとの戦いだ。主人公は痩せっぽちのインテリで共和主義者のフロランで、太っちょを代表するのはその弟クニュと義理の姉のリザ。ゾラは、この二者をカインとアベルに見たて、「いつでもがつがつとした大食家が、痩せた小食家の血を吸ってきた…」(朝比奈弘治訳)と語っている。
クニュと豚肉加工店を営んでいるリザからは「健康の香り」が漂い、その「肌はいかにも穏やかで透き通るように白く、いつも脂や生肉のなかで暮らしている人に特有の繊細なバラ色を帯びている」。そんなリザは、痩せっぽちの義理の兄フロランに警戒心を抱くばかりか、いくら食べても太らないフロランを見ると、「食べても太りさえしない、情けない人」と嫌悪感さえ抱くのだ。この両者の戦い、痩せっぽちの主人公がいいところまで頑張るのだが、最終的には貪欲に個人の悦楽を追求する太っちょに大敗するという結末に。
この小説を書いた1873年には主人公と同じく痩せっぽちカテゴリーに属していたゾラだったが、それから時がたち、成功するにつれて体にも変化が起きた。ゾラにとって、食べることは人生の喜び。家には立派な料理道具を揃え、珍しい食べ物があれば取り寄せて食べた。「コルスレ」という高級惣菜店に売っていたカンガルーの肉を食べたというエピソードもあるほど。パリの高級レストランの常連でもあったゾラだったが、「自分はすっかりブルジョワになってしまった」という後ろめたい思いも抱えていた。
この小説を書いてから15年後、実に96キロにまで太ったゾラはダイエットをすることに。ワインとでんぷんを控えて、3カ月で14キロの減量に成功したそうだ。