イタリア人の父とフランス人の母のもとに生れたゾラは、幼少期を南仏で過ごした。太陽の下で過ごしたこの時期に、将来の作家は画家のセザンヌとの友情を育んだり、土地でとれたオリーブオイルをたっぷり使った料理に親しんだ。画家のクロードが主人公の絵画小説『制作』には、南仏のオリーブオイルをパリの金持ちに売る貧乏画家の話が出てくる。思うように絵が売れずに商売を試みるも失敗、売れ残りのオリーブオイルは、結局やはり貧乏な画家仲間たちの空腹をなぐさめるものになってしまった。
ゾラ自身、まだ7歳の時に父親を亡くしてからは母子ふたりの貧しい生活を送った。ようやく余裕のある暮らしができるようになったのは、30代後半に『居酒屋』で成功を収めてからのこと。『制作』などに出てくる、「よじれた胃袋」を抱えて足をがくがくさせている若い芸術家たちの描写には真実味がこもっている。若かりしゾラも、「パンがうまく手に入った日など、油に浸して」(清水正和訳)飢えをしのいでいたのだろう。
そんなゾラに、アレクサンドリーヌはぴったりの妻だった。陽気で美しく、ちょっと残酷でちゃめっけもあり、そして食いしん坊だったアレクサンドリーヌは、いつも頭や手をフル回転させていた。貧乏生活を知っている彼女は、お金のないときはツケで食料品を買うための交渉もできたし、固い肉をじっくり煮込んで食欲をそそるシチューをつくることもできた。ジャガイモやキャベツをつかったスープなどは朝飯前だったという。
『パリの胃袋』に描かれている中央市場の「歩道の一角では、キャベツスープ売りのまわりに、大きな客の輪ができている」(朝比奈弘治訳)。何とも良い香りを漂わせて人々を引き寄せるあつあつのこのスープには、作家の気持ちがこもっている。(さ)