『失われた時を求めて』に登場する料理上手の女中フランソワーズは、彫刻家、女優、作曲家などといった芸術家にたとえられている。食材を仕入れるために中央市場へ足しげく通う彼女の様子は「ミケランジェロがカルルーラの山中で8か月を送ってユリウス2世の建造物のためにもっとも完全な大理石塊を選んだよう」(井上究一郎訳)と書かれている。
そうやって念入りに選ばれた上等の肉のかたまりは、ブーフ・モードという素敵な料理になり、語り手の父にとって大事なゲストであるノルポワ氏に絶賛されることになる。舌の肥えた外交官である彼に「第1級のシェフ」「お宅のヴァテル(ルイ14世時代、フーケ、ついでコンデ大公に料理長として仕えた)」などと評されるフランスワーズは「自分の芸術について人が語るのを聞く芸術家の、うれしそうな、そして—一瞬にせよ—理知的なまなざし」を見せている。
語り手は小説の執筆にあたり、改めて料理における芸術性を認めている。「私が私の書物をつくりあげるのも、あのように多くの部分から選んだ肉片を加え、あのようにそのゼリーを風味ゆたかにして、フランソワーズがノルポワ氏にほめられた、あのブーフ・モードのようなつくりかたでやるのではないだろうか?」。小説の創作過程を語るのに料理を引き合いに出しているところからは、プルーストが料理人に払っている深い敬意が感じられる。
『失われた時を求めて』に出てくるコンブレーはプルーストが幼い頃に過ごした地がモデルになっているが、そこには今でもフランソワーズが仕えたレオニ叔母さんの家が実在している。今でも見ることができるその家の台所は、プルーストを愛する食いしん坊にとって、いつか訪れるべき聖地のようなものかもしれない。(さ)