若き映画監督のニコラは、祖国グルジアの思想統制に耐えかね、いざ自由とデモクラシーの地フランスへ。だがかの地でも、映画作りは困難の連続! 自分自身でいることの困難さと大切さを、非情と詩情、軽妙さと深刻さを織り交ぜて描く『Chantrapas』。巨匠らしくないのが魅力の巨匠オタール・イオセリアーニ監督の最新作だ。監督の会見の模様を紹介。
左端がイオセリアーニ監督。
ータイトルの『Chantrapas』とは?
フランス語から来たロシアの普通名詞です。19世紀末、ロシアのエリートはフランス語を話せました。当時、サンクトペテルスブルグの裕福な家庭は子供にイタリア式歌唱を教えたがりましたが、子供たちを「歌う(Chantra)子」「歌わない(Chantra pas)子」と選抜したのです。そこから「Chantra pas」が「役立たない奴」、「除名された人」という意味になりました。ちょうど主人公ニコラのようにね。ヴィクトル・ユゴー、フリッツ・ラング、ルネ・クレール、アンドレイ・タルコフスキー、アレクサンドル・アスコリドフだってみんな祖国を離れざるをえなかった「Chantra pas」です。
ーグルジア人映画監督である自分のことを語っているのですか?
いいえ。プロデューサーのマルティーヌ・マリニャックが「あなたは監督なんだから、監督についての映画を撮ればいい」と挑発したのです。たしかに私もグルジアにいたころは、自分の作品が上映禁止にもなったけど、「風潮にあらがっている」ということでかえって尊敬もされましたよ。
ー「自由」についてどう思うか?
デモクラシーという言葉は、時に私を不安にさせます。多数の勝利、それだって自由の要素の一部ですからね。世の中にバカの数が増えたら、私たちはそれに従わなければなりません。自由というと聞こえがいいけれど、自分自身にとって深いところで自由を感じているのかどうか、それが大切なのですよ。(瑞)