プルーストの味を求めて –6

 『失われた時を求めて』をひもといてページを追うとき、ひときわ気になるのが食べ物からふくらむイメージの豊富さだ。食べ物のもつ匂いや味、そして色は、自然のあらゆる現象や登場人物のキャラクターに結びつけられる。プルーストにかかると、身近な野菜や果物といった食べ物が、なにか特別な意味を持った生命体のように動き出す。
 たとえば、香り高いさんざしの花の表面に「ブロンドの小さな点々」を見つけた話者は、アーモンド・ケーキのこがし焼きの下にあるフランジパン・クリームの味、また、ある少女のそばかすの下にある彼女の頬の味に思いを馳せたりする。また、ある公爵夫人の人柄を想像する話者が思いを馳せるのは「そのときそのときによってキャベツのみどりからプラムの青に移ってゆくステーンド・グラスのなかのあのジルベール・ル・モーヴェのように、刻々に変化する色あいをもった人物」だったりする。プラムについては、他の場面でも「海緑色」だったものが時間を経るにしたがって「私たちの夕食どきの海のようにモーヴ色」に変わっていく様子があり、その形容に読者は翻弄(ほんろう)されつつ惹きつけられてしまう。
 そして、ある夏、語り手一家が手づかみで食べたという「ウルトラマリンとピンクに染められ、穂先はモーヴと空色とに細かく点描され」ているアスパラガス。「そうした天上の色彩のニュアンスは、たわむれに野菜に変身していた美しい女人たちの姿をあらわにしているように私には思われたが、そんな美女たちは、そのおいしそうな、ひきしまった肉体の変装を通して…」と、「プルースト節」とでも呼びたくなるような、果てしなく長い描写でその美しさが称えられている。(作家本人も、自分自身の文章を「消化不能のヌガー」と称していたとか。(さ)