プルーストは朝の新鮮なミルクにこだわっていたが、それはその味へのこだわりに加えて、もうひとつ理由があったように思う。『失われた時を求めて』第二篇『花咲く乙女たちのかげに』で、語り手はバカンスのためパリを離れて列車でノルマンディに向かうが、この道中でその心をつかんだのは、他でもない、牛乳屋の娘だったのだ。
山々に囲まれたある駅に列車が止まると、そこに、牛乳ジャーを下げた背の高い娘がやってくる。「彼女は車輛に沿って歩きながら、目をさました数人の乗客にミルクコーヒーをさしだした。その顔は朝日にぱっと映え、空よりもばら色であった。私はその娘をまえにして、われわれが美と幸福との意識をあらたにするたびに心によみがえるあの生きたいという希望をふたたび感じた」(井上究一郎訳)。語り手は電車が走り出してからも、この健康で美しい田舎娘のことを回想し、その小さな駅の近くに住めば毎朝彼女からミルクコーヒーが買えるだろうなどと考える。
面白いことに、優雅な海辺のリゾート地であるバルベックに着いてからも、語り手は「農場からホテルにクリームの追加をもってきた牛乳屋の娘」にすっかり目を奪われてしまう。想像力のあまりの豊かさは時に妄想を抱かせるのであろう、彼はその娘も自分のことを見ていたと思い込み、翌日メイドから手渡された手紙をその娘から来たものだとすっかり勘違いする。封を開けてそれが文学者ベルゴットからのものだと知った語り手は、それが名誉なことだとは分かっていても、失望の色を隠せない。
プルーストは毎朝ミルクを飲みながら、そんな、若いころにすれ違った牛乳屋の娘の「じつにあざやかな金色とばら色」の顔をちらりと思い出していたのかもしれない。(さ)