バルザックの料理帖–12

 約90篇の小説からなる『人間喜劇』は、19世紀のフランス社会を再現する目的で書かれている。すべての作品は「私生活」、「政治」、「軍隊」、「田園」などに分類され、その一つ一つは、まるで1篇の大作を構成する果てしのない章のようにも思える。そんな「章」の中には「地方生活」、「パリ生活」があるが、作品に出てくる料理も、地方のものとパリのものにきっちりと分けられている。
 バルザックは、パリの華やかな高級レストランや、ブルジョワ家庭での趣向を凝らした食卓を愛していたが、一方で地方にひそむフランスの味に一目置いている。「地方生活」を描いた『ラブイユーズ』には、ベリー地方の医者の家で働く料理女についてこんなくだりがある。「田舎の片隅には女ながらあのカレム(19世紀初期を代表する名料理人)が隠れていて、なんの変哲もないインゲン料理を、完璧に成功したものを迎えるさいにロッシーニが見せるあのうなずきに値する逸品に仕立てあげるのである」(吉村和明訳)。音楽にも造詣が深いバルザックが、ロッシーニを引き合いに出して料理女を賞賛するとは、余程のこと。
 他の作品中でも、「パリでは皆が気取っていて、喜びを隠してちびちび食事するのに対して、田舎では食欲を見せるのを恥じることなく大いに食べる」、「パリジャンはとりたての野菜の味の素晴らしさを知らない」など、こと食に関しては、バルザックの軍配は地方に挙がるといえそう。ロワール地方のトゥーレーヌに生まれ育ち、「芸術家が芸術を愛するように」その地方を愛していた作家のこと、パリに暮らす運命を背負い、その街で地獄と天国を味わいつつも、口だけではなく心も『谷間のゆり』で書かれたような美しい田園生活に憧れていたのかもしれない。(さ)