バルザックの料理帖–11

 バルザックが描く食の風景には、快楽と隣り合わせの悪が描かれていることが多い。「暴食」は「傲慢」、「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「強欲」、「色欲」と並びキリスト教の七つの大罪の一つだが、そのことは、食いしん坊が主人公の『従弟ポンス』に切々と語られている。「グルメ小説」と呼ばれるこの本をうっかり手に取ってしまった食道楽の読者は、食べ物に運命をひきずりまわされる主人公の描写に思わず冷や汗をかいてしまうかもしれない。思わず禁断の果実を手にとってしまったアダムとイヴの例しかり、古代から、食の喜びには危険がついてまわるよう。贅を尽くした食卓は人間を夢中にさせるあまり、日常を無秩序なものにし、混乱させる原因となり得るのだ。事実、素晴らしい食事の機会から見放されたポンスは、かつての習慣が忘れられず、日に日に弱っていく。「彼はあの人々たちの家での楽しみだけを考えるようになった。ちょうど女の経験の豊富な老人が、あまりにひどい浮気のために手を切った愛人を愛惜するようなものである」(柏木隆雄訳)
 ただ、バルザックが食の「大罪」ばかりを大真面目に説いていたと思うのは早合点。この物語の重要な登場人物のひとりであるアパルトマンの門番女の肌を「たとえて言うなら、あの舌なめずりしたくなるようにすべすべしたイシニーの塊だろう」と書いたかと思えば、その夫の顔を「オリーヴみたい」と評する。また、「イチゴ氏」という名の法律家を登場させるが、白いネクタイや黄色の手袋、新しいかつらを身につけたそのグロテスクな男は、その名前が瑞々しいだけに笑いを誘う。作家は、食のもつ力をパリの娼婦のそれに重ねるほどに認めてはいたが、その一方では食べ物をヒントに楽しく遊んでいるようにも思える。(さ)