前回はレストランの食事風景について紹介したけれど、そんな高級レストランでご馳走にありつけない男の運命を描いたのが『従弟ポンス』。ナポレオンが権力を握っていた19世紀初頭に音楽家としての頂点を極めた主人公ポンスは、裕福な家庭に招かれては贅沢な晩餐にありつき、すっかり美食のとりこになってしまう。「食べ物の消化は、人間のいろいろな力を使うから、体の中の闘争のようなもので、食い道楽の人間にあっては、恋愛の最高度の快楽に匹敵するのである」(柏木隆雄訳)
時代が過ぎ、流行おくれの作曲家になってしまってからも、ポンスは美食の思い出が忘れられず、なんとかして親戚の家の食卓に招かれようと全力を尽くす。人間というよりは「一個の胃袋」と成り果てたポンスが、おいしいものを食べるためにプライドを捨ててひたすらお世辞を並べる様子などはまさに「人間喜劇」。切ないながらも、思わずクスリと笑わされてしまう。ある時など、まるで恋人の名を呼ぶ男のように、ある伯爵に仕える料理女の名前を思わず道で叫ぶ始末。
バルザックの小説には過剰までに情熱に溢れる登場人物が多く出てくる。恋愛、音楽や文学、哲学、そしてギャンブルや商売とその対象は様々だけれど、グルメはそのひとつとして重要な位置を占めている。そんな、当時としては画期的なアプローチからは、ブリア=サヴァランの著作『美味礼賛』の影がちらつく。哲学者、音楽家、そして法律家でもあった食通のブリア=サヴァランは、食の楽しみを科学的に分析し、それが人類に与える幸福について書いた。グルメ小説とも呼ばれる『従弟ポンス』では、そんなちょっぴりかしこまったグルメ論に加えて、小説家お得意のドラマとユーモアが楽しめる。(さ)