「刑務所は哲学の実験室だった。そこでは外の世界は存在せず、私に唯一残されていたものは、読むことと書くことだった」と語るのは、哲学者のベルナール・スティグレール(54)。彼は、メディアの多様化で過剰になった情報やイメージを消化しきれなくなった現在の状況を「象徴的貧困」と呼んでいるが、こうした考え方には、刑務所の孤独の中で学んだ貴重な体験が影を落としているようだ。 パリから遠くないヴィルボン市で生まれる。父は電気工だった。思春期はパリ郊外サルセル市の団地で過ごす。高校生時代に左翼運動に加わり、1968年の5月革命を経験。事務員、工員などの仕事に就いた後、22歳でトゥールーズ市で小さなジャズクラブをオープンする。ところが、麻薬やアルコールに溺れ、クラブも破産寸前になり、自棄的に4度にわたる銀行強盗を行い、1978年6月に逮捕される。服役期間は5年に及んだが、ハンガーストライキを行って独房を与えられる。服役中に、彼のジャズクラブの常連だったトゥールーズ大学哲学科のジェラール・グラネル教授が面会に訪れ、自由に哲学の本を読むことができるように取りはからってくれ、ジャック・デリダに手紙を書くようにすすめる。1981年の初の仮出所の時に、デリダと出会うことができ、彼は快くスティグレールの論文指導を引き受ける。スティグレールは1988年からコンピエーニュ技術大学で教鞭をとり、2002年には、ピエール・ブーレーズの後任としてIRCAMのディレクターに抜擢され注目を浴びる。翌年には、5年間服役したことを公に。現在はポンピドゥ・センター文化開発部ディレクターとして活躍している。 スティグレールは、サルコジ内相の、厳罰と刑務所が唯一の犯罪対策のように掲げる立場には真っ向から反対している。「服役する前の私の人生がなかったら、私も他の多くの服役者のように社会と相容れない人間になっていただろう。(…)今の刑務所の状態は30年前よりもひどくなり、非人間的だ」(真) |