ラップ界のゲンスブールといわれるMCソラーと、19世紀仏文学で最も偉大なおそらくは仏文学史最後の偉大なアレクサンドラン詩人ユゴーの異種対決。 ソラーのニューアルバム『Solaar pleure』は善と悪の戦いを語る。ユゴーの『La Fin de Satan』は、創世記、アダム、キリストと、人間の歴史における「悪」の変遷を背後に、堕落天使としてのサタン、その魂の救済が語られる。スケールの大きさから見れば、ユゴーが勝るが、キリスト教的視野にとどまらず、仏教、イスラムはもとより、ケルト神話までを言及しながら現代を語るソラーの幅広さも圧倒するものがある。 『La Fin de Satan』において最も感動的な節をなすサタンの独白、嘆きは、ソラーのリフレインと共鳴する。 -Hugo, “Seul, sans trouver d’issue et sans voir de clarte / Je tate dans la nuit, ce mur, l’eternite.” – Solaar, “Seul sous son saule pleureur. Solaar pleure.” 一方ではラップの軽快かつ響くリズム、他方ではある意味ラップ的反復が数千行も続くアレクサンドラン。音楽的多様性では前者が勝つが、後者もその重さ、低音の轟きでは引けを取らない。 この対決、引き分けとはいわず、おあずけとしておこう。勝敗は例えば、どちらが最初に日本アニメに取り入れられるかで決められるかも…。(樫) |
|
●浅野光代 / パリのエトランジェ 1991年発行の『オヴニー・パリガイド』(草思社) には “パリは混血文化の街” という特集があり、その序文に「パリは世界有数のコスモポリタン都市、街を歩いているだけで、東欧、南欧、マグレブ、アフリカ、カリブの文化とこすりあうことになり、目・耳・鼻・舌・肌はいつもヒリヒリ、ヒリヒリ」と書いたことがある。 この一冊は、やっぱりそんなパリの混血文化の魅力のトリコになってしまった写真家、浅野光代の写真集。生活の温かい匂いを求めながら、シャトー・ルージュのアフリカ人街やバルベスのマグレブ人街に足が向いてしまう一人のエトランジェールが撮った写真には、好奇心や優しさが満ちている。(真) |